Monday 31 March 2008

サーモン

サーモンだ、今日はどうしてもサーモンについて書きたい。

Kalafは魚が好きだ。その魚好きゆえに、渡米以来、これまでKalafは魚を買い物かご(たいていは巨大な買い物カート)にほとんど入れなかった。そのKalaf、今日、いつものスーパーで初めてサーモンを買った。チリ産のサーモンだ。これはKalafにとって食の安全保障を向上させるためのチャンレンジであった。

フライパンにオリーブオイルをひき、焼く。ソテーする、という表現がしっくりくる。塩をふっただけのサーモンのソテー、チャレンジは成功した。ふと、チャンレンジの成功を喜びながら、Kalafは思った。「これは"サーモン"だ、"鮭"ではない」と。

ソテーはオイルを使う上に、魚の油と水分がなかなか抜けない。ポイントはここだ。"サーモン"と"鮭"の違いだ。

Kalafにとって、香ばしいくらいに焼かれた時にこそ、"鮭"という呼び方はしっくりくる。例えば塩焼きだ。一方、"サーモン"という呼び方は、ムニエルやスモーク、ソテー、刺身に似合う。そう、"鮭"との違いは身の柔らかさだ。

アメリカでは、ほとんどのキッチンがガスではなく、電磁だ。Kalafの現在の部屋、そして来週から入るアパートも例外ではない。これは、火を使っての料理が全くできないことを意味する。つまり、七輪でも用意しない限り、あるいはBBQセットでも使わない限りアメリカで"鮭"を味わうことは難しい。Kalafは苦笑した。サーモン・・・。

待てよ、ここまで書いて気がついた。オーブンがあるではないか。これなら"鮭"を焼けるはずだ。更なる食の安全保障のチャレンジに違いない。ただ、ここはアメリカ、途方もなく大きなオーブン、塩焼きどころか、サーモンを一匹買ってきて、鮭の丸焼きが寸法にあう。

Weather

Sky which is so clear,
Winds which freshen the Air,
Trees which now represent Spring, and
Sun which always shines up above...,

You are wonderful,
Thank you!

Sunday 30 March 2008

Italian on Sunday Evening

帰って夕食を作るかどうか迷ったが、ゴスペルとEdsonがKalafの気分を良くしてくれたため、二度目のPerricone's。本当は、向かいのフレンチに初トライの予定だったが定休日。どうやらPerricone'sとは縁があるようだ。

やはり、おすすめだ。今日はシーザー・サラダにターキー・ミートボールのトマトソース・パスタ。シンプルにおいしい。次回はカルボナーラに決めた。

さて、今日は色のある一日だった。それでは運動してこよう。その後はEspanolだ。

Edson

ゴスペル・コンサートの最前席、隣りに座ったのがEdsonだった。コンサートの途中、一言二言話をし、KalafはEdsonより先に会場を出た。マイアミ・ダウンタウンには空中を小さな電車が走っている。KalafはOmni駅で電車を待っていた。
そこで、Kalafに話しかけたのがEdsonだ。聞くと、彼は芸術学校で演劇を専攻しているという。空中電車の中、それぞれ自分のことを少しずつ話し、そしてまた会う約束をして別れた。

KalafはEdsonにまた会いたいと思う。演劇を志す人に興味を覚えるからだ。しかもここは演劇の本場、アメリカだ。マイアミでの新しい楽しみに、また期待が膨らむ。

Gospel Sunday

Carnival Centreゴスペルを聴いた。月に一回行われている無料のゴスペル・コンサート、個人の献金により開催されているものだ(ここにアメリカにおける社会貢献のあり方を見る)。

初めてライブでゴスペルを聴いたKalafは、ゴスペルの圧倒的な声量、それも甲高いピッチ、厚いコーラス、そして呑み込まれるようなリズムに驚いた。

(Obamaのスピーチ上手は、このルーツによるところもあるのであろう。彼のスピーチには、跳ねるような、たたみかけるようなリズムがある。)

まず、何よりも声が大きいのだ。"声圧"という言葉があれば、まさに声圧で歌う。しかも声が高いからなおさら、やかましいくらいに響く。そのソロの後ろからたたみかけるようにコーラスが重なると、一息での発声が長く、かつ声を震わせるビブラートのため音に独特のうねりが生まれる。そして彼らは動く。リズムをとるのだ。

この音とリズムに会場も呼応する。会場の呼応にソロが返す。曲の終盤は、同じ音楽進行に対し、ソロが繰り返し繰り返し、まるで叫ぶように歌う。歌うように何かを喋る。そして、テンポが少しずつ速くなり、またキーも上がっていく。会場の雰囲気はピークに達する。Kalafは一番前の席からステージを見上げながら、これがゴスペルか、と圧倒された。とにかく"ノリ"がすごい、パワフルだ。

このパワフルなノリの中に、奴隷制と差別に苦しめられた、あるいは今でも虐げられている黒人たちのコミュニティーがあると思うと、音楽以上のパワーを持つゴスペルだ。

Thursday 27 March 2008

幸せの定義

"幸せは笑顔に宿る"

ランチを買ってオフィスに戻りながら、ふとそう思った。そして、これを幸せの定義にしようと決めた。

Tuesday 25 March 2008

Espanol and Declaration

明日からスペイン語のレッスンが始まる。このブログ名"Ahora"もスペイン語の"今"から引っ張っている。

さて、ここでKalafからの宣言。

宣言: Kalafは、スペイン語を十分に使えるようになるまで、新しい趣味を始めない。"十分に使える"とは仕事をスペイン語で行えるレベルであり、"新しい趣味"とはマイアミに来てから始めようと思っていたマリン・スポーツとゴルフのことである。

幸い、オフィスでも街中でもスペイン語がほとんどなので、プラクティスには事欠かない。目標は半年以内だ。

Social Security Number

今日、社会保障番号が届いた。これが、ここでKalafを表す9桁、アメリカにおけるパスポートだ。封書を届けてくれた人が、"You have now become someone in the US!"と一言。"someone"、アメリカ社会で「誰か」として認知されたということだ。それまでは"no one"らしい。「誰でもない」のか・・・。

これでようやく次の手続きに進める。次はクレジット・カードと免許証だ。少しずつアメリカ社会で身分を証明するものが増えていく。素直に喜べない感覚は、これらの仕組みに慣れていないせいであろう。

ただ、少し考えてみると、日本でも同じことなのではないか。結局、免許証や保険証、銀行の残高証明や印鑑証明・・・、これらが身分を示す証拠であることに変わりはなく、決して社会保障番号による身分証明が「アメリカに特有」というわけではない。単に、この歳になって、身分を社会的に証明できない立場にあらためて置かれたことによる当惑に過ぎないと言える。

このように、何か新しいものをその社会やその土地に固有のものと考えてしまうことは起こりえることだ。ただし、実際にはこれまでの自分の回りでも当たり前であったことは少なくない。

おそらく「何となく」自分を納得させやすいのであろう。これは、特に海外に出たときに気をつけないといけないことだ。受け入れにくい対象をステレオタイプ化することによりその対象を自分の「寛容の外側」に置くことは、外的刺激に対し自分が鈍感でいることを許す手段であるから。

Monday 24 March 2008

身分保証

どうにもこうにもいかないらしい。論外、ですらあるようだ。

アメリカにおいて身分証明が確立されていない場合のことだ。車のリースを探しているのだが、社会保障番号がない(申請済み)、credit history(信用取引履歴)がないKalafに、貸し手がなかなか見つからない。勤め先も年収も関係ない、社会保障番号にせよcredit historyにせよ、要は「これまで」にどれだけ「信用」を築いてきたか、あるいは「信用」を傷つけないできたか、ということなのだろう。

これだけ様々な人種がいて、かつこれだけ人の行き来が激しければ、制度が社会保障番号を頼りにすることは分かる。また、これだけカード払いが当たり前で、個人が5枚以上を平均して保有していれば、高額の買い物をする際にcredit historyが重要であることは分かる。数字は雄弁だ。特に、不信頼を前提とする社会においては、なおさらそうであろう。

それでも、だ。Kalafは渡米して間もないのだよ、アメリカ社会殿。Give me a break...

Morton's

アメリカに来て初めてのステーキ。近所のMorton's

-メニュー: Filet Mignon、柔らかく、あっさり。NY Strip、「肉の塊」は言い過ぎか、そこまでの脂身ではないものの、しっかり味にしっかり噛みごたえ。

-総合: 5/7; もう少しステーキの可能性を信じようか・・・。
-味: 5/7; 肉・・・。
-雰囲気: 6/7; オーソドックスにアッパー。
-単価: $75+
-アドレス: 1200 Brickell Ave. Miami, FL

なお、写真は"Take a bag."、食べきれずにお持ち帰り袋。

Saturday 22 March 2008

Big Pink

Miami Beachへのドライブついで、その南端にあるSouth Beachでハンバーガーを食べる。ビーチ帰りの若者や家族連れ、シニアのグループで賑わう"Big Pink"。

-メニュー: スイス・チーズとマッシュルームのハンバーガー。もちろんフライド・ポテトつき。焼き加減はジューシィーなmediumが絶対おすすめ。ケチャップはつけ過ぎないこと。

-総合: 3.5/7; South Beachに行って、ふとハンバーガーを食べたくなったら・・・。
-味: 3.5/7; おいしいが、ハンバーガーの限界はこのあたりか。
-雰囲気: 3.5/7; ビーチ近くの賑やかな気楽なアメリカン。
-単価: $10~15
-アドレス: 157 Collins Ave, Miami Beach, FL

Friday 21 March 2008

Kalaf's Room

今日、アパートを決めた。素敵だ、Kalafは大変気に入った。マイアミに到着後一週間の間に2~30件を見て回ったのだが、住まいとしてぎりぎりのアート度合いと生活の快適さがバランスされているこのユニークな空間に、Kalafは最初からchemistryを感じていた。

最大の決め手は、オーナーであるMaryのセンス。彼女がアート好きであることは疑いようがなく、入った瞬間、飾ってある写真や絵、小物類にKalafは"Wow!"だった。床にも惹かれた。Maryが自分で張り替えたという、南ヨーロッパのリゾート・ホテルにありそうな大きな明るい色のタイルが部屋に対し斜めに広がり、このタイルとは対照的にクラシックなペルシャ絨毯。Kalafには思いつかない印象的なコントラストだ。二つのベッド・ルームには、Kalafの好きな木の家具が置かれていた。

次に立地。Brickell南端のこのエリアは、湾側に高層コンドミニアムが並び、通りを挟んで住宅街が広がる。仲介してくれたPamelaが"peaceful"と表現したように、緑も多く落ち着いた環境だ。オフィスからも車で5分程と便利だ。当初Kalafが描いたオーシャン・パノラマとは言い切れない点が若干心残りではあるが、海は見えるのでプチ・オーシャン・ビューと言い聞かせよう。

さて、これらの描写で、どのくらいのイメージがわくのであろうか。写真は、入城後のお楽しみとしよう。

Perricone's

Brickellにあるイタリアン、"Perricone's"。何人かにすすめられ足を運ぶ。カフェにデリ、イタリアン食材もあり、充実。

-メニュー: サラダ、たっぷりの葉野菜にくるみとブルー・チーズ、バルサミコのドレッシング。健康気分を大皿で。エビと蛤のホウレン草フェットチーネ、レモンバター・ソースとの相性に思わずうなずく。トマト・ペンネ、たかがトマト・ソース、されどトマト・ソース。強くトマトの味。ジェラートとエスプレッソでGrazie!

-総合: 5.5/7; 何度でも行きたい、カジュアルにおいしいイタリアン。
-味: 5.5/7; 素材の味がよく分かる、良い意味で「普通に」とてもおいしい。
-雰囲気: 6/7; オープン・エアで開放的、緑も多い。店員は全員がピンクのタイでlovely。
-単価: $25~30
-アドレス: 15 SE 10th St, Miami, FL

Wednesday 19 March 2008

プール

夕食後に泳いだ。アパートにプールがついているのだ。このビルは、14階に野外プールがあり、高層ビル群に囲まれながら泳ぐのはなかなか気持ちが良い。今日は月もきれいだった。

KalafのアパートがあるBrickellエリアには高層コンドミニアムが多く建ち並んでおり、そのほとんどにプールがついている。この界隈で幾つか物件を見たが、どのコンドミニアムでもプールの説明をされた。

おもしろいことに、Miamiでは必ずしもプールが泳ぐためのものではないようだ(※)。まず、水着の人は多くいるのだが、泳いでいる人がほとんどいない。そして泳ぐにしては十分な広さとは言い難い。プールが日光浴をするための言い訳であるかのようにさえ思えてくる。

きっとそうなのだ。これだけ陽射しが強く気温が高ければ、水際で裸に近い格好をしたくもなるということか。まして、半分以上はラテン、水際でなくてもアラブの信心深い女性には考えられないであろう格好を常日頃からしているのだから。

※)高層ビルが並ぶのは、MiamiでもこのBrickellから、北に上がったダウンタウンまでのエリアに限られる。歩いて南北に30分程度の範囲だ。このうち、プールがあるのはおそらくコンドミニアムや高層アパート、ホテルだけであろうから、Miami全域で、人々がプールサイドで日向ぼっこをしている、というわけではない。また、このような建物で暮らす人が多数でないことは言うまでもない。

Monday 17 March 2008

仕事始め

8時過ぎ、まだそこまで強くない朝日を浴びながら、Miami Riverにかかる橋を渡る。橋の袂の藪からイグアナがKalafを出迎える。

"Welcome aboard."

Kalafが最初に考えるべきことは、Kalafの果たしうる価値についてのブルー・プリントだ。パズルの完成予想図スケッチ、創造力がいる。Kalafのこれまでを発揮し、Kalafのこれからを方向付けるものと位置付けよう。

PERFORMING ARTS

探しもせずに諦めていた幸せを発見。"Carnival Center"。マイアミの生活に、さらにアクセントが加わる。

Kalafはオペラ、ミュージカル、バレー、クラシックが好きだが、コメディや劇、ダンスにも足を運んでみよう。さて、いつ行こうか。

静かな興奮と期待

今、Kalafは、海と太陽に観光客のように心を躍らせながら、マイアミでの新しいチャンスに静かな興奮と期待を感じている。

"夢を持ち、されど、あせらず、気負わず、足元を見失わず"

渡米前に送られた、Kalafの今のこの気持ちを見透かしていたような母からの言葉だ。

Freshly Squeezed 1st Weekend in Miami!

"絞りたて、マイアミでの最初の週末!"

昨日、American Airlines 673便でマイアミに到着。マイアミでの初めての週末のハイライトだ。

○天気
North CarolinaのRDU空港での待ち合いエリアから既に南下の準備が済んでいる乗客が多く、そのことが間違っていなかったことを、マイアミに着いた瞬間に肌が感じる。陽射しが強い。そして、暑い。3月にして気温は華氏80度(摂氏26-27度)を超えており、人々は夏の装いだ。

マイアミの夏はさらに暑く、しかも蒸すらしく、あと一、二ヶ月でベスト・シーズンは終わるようだ。

○アパート探し
この週末の多くの時間をアパート探しに費やす。海の見える物件に絞り十数件を見て回る。気に入った部屋が幾つか、Kalafはどの部屋に決めるのだろうか。

なお、Kalafは今、コンドミニアムや高層アパート、金融機関が多いBRICKELLというエリアにあるこのアパートの25階に住んでいる。

○BRICKELLからダウンタウンへ
日曜日のアパートめぐりが終わり、炎天下の中、ダウンタウンに向けて歩いて北上する。マイアミは東西にstreets、南北にavenuesと区画されており、しかもある基点からそれぞれの方角に通りの番号が増えていくので歩きやすい。

途中、ところどころにテニス・トーナメントの垂れ幕を見かける。Sony Ericsson Openだ。 この紫以外にも数種類、青空に原色が映える。

さて、BRICKELLから約15分、ダウンタウンに着く。聞いていたとおり、ここはお店の人はもちろん、通りの人もヒスパニック系がほとんどだ。ラテン系の黒人も少なくない。そして英語は聞こえない、スペイン語だ。やや緊張を覚える。

ダウンタウンに限らず、マイアミは白人系アメリカ人は少数と聞いた。確かに、富裕なエリアであるBRICKELLでも、やはりヒスパニック系が多い。アパートの住人もそうなのだ。マイアミは"ラテン"の街だ。

Friday 14 March 2008

Good bye CELICA

世界で一番かっこいいと思っていた。ずっとそう思っていた。

28年間、Kalafを1才の時から乗せて走ったセリカ。真っ赤なセリカ。ここ数年、そこここの調子が悪いとは聞いていた。今日、そのセリカがいなくなった。

幼少の頃の送り迎え、Kalafはセリカが走り去ると泣き出し、セリカの音が遠くから聞こえると駆け寄った。家族で出かける時はいつもセリカだった。セリカの絵をよく描き、セリカの歌をよく歌った。我が家に新しく白い車がやってきた時、その車にやきもちさえ抱いた。初めて自分で運転した車は、もちろんセリカだった。

10万キロのメーターが0キロに戻った時、運転していたのはKalafだった。そのことを父に話すと、「セリカも喜んだだろう」と父は笑った。

今日、そのセリカがいなくなった。きっと、セリカは「もう行け、次の世界に」とKalafに言ったのだろう。Miamiへの出発を前に、セリカはあたかもそのことを知っていたかのように。

世界で一番かっこいいと思っている。今でもそう思っている。

セリカにありがとうを言う準備はまだできていない。

春とオフィス

これがKalafのオフィスだ。ただし、KalafはまだNorth Carolinaでboot camp中なので、Miamiのオフィスではない。池の手前にもう一棟あり、そこにKalafのデスクはある。

昼時に、この橋を渡りカフェテリアに行く。今日のように天気が良いと、心から晴れやかになる。青空とやや強い陽射し、緑が広がり始めた地面、池にはガチョウが遊び、キツツキの類いが木をつつく音さえ聞こえる。

アスファルトと喧騒に囲まれたこれまでのオフィス環境からの逃避ではないことを実感するとき、今でも驚く。

そして桜。

桜は人を幸せにする。春の訪れであり、日本を表す一つのbeautyだからだ。実は、Kalafは今年、桜を期待していなかった。だからこそ、ここでの桜に大きなありがとう。

明日、KalafはMiamiに発つ。そこはチャレンジの舞台だ。

3月、それは春。Kalafの新しい始まりを祝う桜に違いない。

Wednesday 12 March 2008

グローバル企業とは -2

(続き)
最後の要素は、グローバルに広がるマーケットに、いかに効率良く、合理的に商品やサービスを供給できるか、という点と関係がある。

思い出してほしい。第一の要素は、限定されないマーケット、であった。この限定されないマーケットに対し、いかにして適材適所の人材配置を行うか。しかも、優秀な人材(※)は限られている。そして、意思決定プロセスであれ業務オペレーションであれ、その多くは、いわば繰り返しが基本である。

つまり、適材適所の配置とは、優秀な人材を、繰り返しが基本のプロセスやオペレーションからどれだけ遠ざけ、そのプロセスやオペレーションを構築することと、実際の意思決定をすることに割けるか、ということに他ならない。

これが、「標準化」が要素となる根拠である。

もちろん、ドメスティック企業でも同じことが言えるが、ドメスティック企業とグローバル企業では、商品・サービス群のみならず、その展開に必要なマンパワーと、また個々のマーケットに対応する難易度も格段に異なるため、グローバル企業においては、より標準化が重要と言える。

また、三つ目の要素として挙げた人の採用と配置が個人的特性によって決められないことは、 その特徴として組織間(企業外部、内部問わず)の人材の流動性となり表れる。優秀な人材は、内部的にはより大事なミッションに対して、また、外部的にはより魅力的な機会に対して、新しい配置がなされるからだ。

つまり、プロセスやオペレーションが属人的である場合、その安定性に支障が出るのだ。この意味においても、標準化は避けて通れない。

これら五つの要素に照らし合わせた場合、どれだけの日本企業がグローバル企業と言えるのであろうか。面白い問いだ。

※)ここでは、Kalafは、「差異を創り出す人材」、「新しい関係性を発見する人材」と定義としている。

グローバル企業とは -1

Kalafは、これまでの仕事を通じ、グローバル企業の定義を以下のように考えるに至った。

   1/ 「マーケット」が限定されていないこと
   2/ 働く「場所」が限定されていないこと
   3/ 働く「言葉」を選ばないこと
   4/ 働く「人」を選ばないこと
   5/ プロセスやオペレーションの「標準化」が進んでいること

まず、商品やサービスが国や地域を限定することなくグローバルに個々の「マーケット」に展開されていることが真っ先に挙げられる。これは、どちらかと言うと、カスタマー側から見た最も端的なポイントだ。

一方、企業側から見た場合、これは、ビジネス・チャンスがあると見れば、その利益を獲得するために、その「場所」にリソース(金、時間、人)を投入すること、と言い換えられる。つまり、ビジネス・チャンスの獲得という目的のために投入するリソースとその投入場所が決められるわけであり、リソースとしての人が働く場所はビジネス・チャンス次第でどこにでもなり得る。(なお、ここで言う「場所」は、必ずしもターゲットとするマーケットと一致するわけではない。)

次に、働く場所が限定されないことは、逆説的に、共通の「言葉」を必要とすることをより強く意味する。なぜなら、商品やサービスをグローバルに 展開するためには、そのバリュー・チェーンに関わる誰もが分かる言葉が欠かせないからである。つまり英語である。個々のマーケットや、働く場所にあわせて言葉を変えていたのでは到底グローバル展開はできない。働く人は言葉を選べない。

では、働く「人」を選ばないとはどういうことであろうか。

働く「人」を選ばないとは、ビジネス・チャンス獲得のために必要な人材という基準においてのみ、働く人とその配置が決められるということだ。つまり、人種や性別、年齢やバックグラウンドといった個人的な特性は基準にはならない。

実際には、もちろんこの通りにいかないのだが、重要な点は、企業が採用や人材配置を行う際に個人的な特性を基準にしない、ということだ。

ここで一旦まとめる。

あるマーケットにおいてビジネス・チャンスが見い出されると、選ばれた人が、然る場所に投入される。コミュニケーションは英語だ。

battle fields(マーケット)と陣容(場所、人)、コミュニケーション(言葉)が決まった。

(続く)

Saturday 8 March 2008

blog -3: DIRECTION ~SOMETHING NEW~

(続き)
では、誰(マーケット)に対して、何(サービス)を、どのように(オペレーション)提供し、社会貢献(バリュー)を果たすのか。

事業戦略とマーケティングそのものだ。おもしろい。blogを考えることから、ここまでつながることがおもしろい。

Kalafは、このblogをこう位置付け始めた。位置付け「始めた」と書いた、RUNNING MOVEだ。

何を?:
   「Kalafの五感や思考」
   「Kalafの環境的特徴(surrounding features)、
   すなわちマイアミ、中南米、サプライ・チェーン」
誰に?:
   「Kalafの五感や思考、
   およびその環境的特徴に主体的に働きかける人」
どのように?:
   「このblogを通して」
社会的価値は?:
   「SOMETHING NEW」

気合のいる徒然だ。

blog -2: ESSENTIALS

(続き)
Kalafは、ここで妙な切迫感を抱いた。

   それだけなのか?
   時間と場所を超えた不特定多数との接点をKalafは求めないのか?

そもそも、internetは個人の関心や興味、志向、そして何よりも必要性がクリックの連鎖となり広がる媒体だ。その意味で、個人の主体的な働きかけが構造的に前提としてある。

Kalafは、さらに問う。questionsの本質(essentials)はここだ。

   Kalafは、「誰」の主体的な働きかけを「何」に対して向かわせるのか?
   そしてその価値は?

(続く)

blog -1: QUESTIONS

blogを始めて一週間が経ったが、今日はこのblogの意味を考えた。questionsがふと浮かんだのだ。

   これは、何のためのものなのだろうか?
   これは、誰に向けて書かれているのだろうか?

実は広がりのある問い。その広がりを深くイメージしていなかったことを自覚する。

手元にある"Kalaf Ahora?!"のblog構想メモを見ると(仰々しいものではない)、Kalafが二つのイメージを想定していたことが分かる。

まず、その時々の思ったことや感じたことを綴る。これは、「他愛のない」こと。もう一つは、あるトピックを掘り下げて考えたことを綴る。これは、「まとめて述べる」こと。

何のために、Kalafの五感や思考を徒然に書き留めるために。誰に向けて、Kalaf自身とKalafの家族、友人や同僚、つまりKalafの近いコミュニティに向けて。

(続く)

Friday 7 March 2008

Bagel Morning

毎週金曜日の朝、オフィスにベーグルが届けられる。持ち回りで数ヶ月に一度の自分の番に、部署のメンバーに買ってくるのだ。今朝はKalafの番、出張でいない同僚の代わりだ。

Kalafのデスクの横を通りながら "Thank you!" を皆が言う。全員が笑顔になる。快い気分だ。アメリカでは、こうして意図的に、ただし自然に笑顔の機会が作られるのだろうか。

Thursday 6 March 2008

事務手続きダイジェスト

今日の出来事、事務手続きダイジェスト。
   1. Social Security number
   2. 銀行口座
   3. 給料

1. Social Security number
Social Security number(社会保障番号)は、アメリカにおける身分証明書のことだ。Kalafにとっては、税金、運転免許証、クレジットカード等のために必要なものである。

さて、当局に行くと、「社会保障管理局(直訳)」が、文字通り、社会保障を必要とする人のための機関であること実感する。つまり、ピスパニック系、黒人系、アジア系が多く、高齢者を除くと白人は少ない。小さな子供を連れた黒人も多くいた。富裕層には見えない。アメリカ社会の縮図とも感じられる。

By the way、KalafのSocial Scurity numberだが、Homeland Security国土安全保障省)による個人データの登録が済んでいないとのことでお預けになった。

やはり、Kalafはアメリカの国土防衛にとってひっかかる名前なのだろうか。


2. 銀行口座
ようやく銀行口座を開設した。WACHOVIAという銀行だ。これまで全く知らなかったが、顧客満足度が高く、裾野を広げているらしい。快適なサービスを期待できそうだ。

手続きの途中で、いきなりチェックを渡された。Kalafの本国では、ほとんど使われない小切手だ。この紙切れに金額とサインを記載すれば、そのまま買い物ができる代物だ。

その後、オフィスに戻ると、実は今日が給料日だったらしく、銀行口座開設が間に合わなかったKalafに、再びチェックが届けられる。これは、残念ながら金額の記載されたチェックで、早速明日、WACHOVIAに行って預け入れを行おう。

Kalafは電子マネーの国から小切手の国にやってきたのか。


3. 給料
おもしろいことに、ここでは二週間ごとに給料が支払われる。これが、アメリカのスタンダードなのかどうかは分からない。

家や車といった高額な買い物ではなくても、アメリカでは借り入れを普通に行うと聞いたことがあるが、この背景にも呼応した対応のように感じた。

Kalafは借り入れはしない。

Monday 3 March 2008

19:30@Office

19:30、もう誰もいない。文字通り、フロアに一人もいない。18:00くらいから、既にほとんどいなかった。

健全だ。「健全だ」と感じることすら不健全なのかもしれない。ここでは、仕事以外の時間を「十分に」持つことが当たり前なのだろう。

かと言って、彼らのパフォーマンスが低いわけではない。(日本と比べて)短いと思われる仕事の時間とパフォーマンス評価に相関(比例)関係を見出しにくい一つの理由は、彼らの仕事が、それぞれ明確に定義あるいは区分されていてパフォーマンスを評価しやすくなっているからだと思う。働いた時間が評価の対象になることはなく、パフォーマンスのみによって評価される。パフォーマンスに対してはシビアな社会であり、結果的にパフォーマンスは一定以上に保たれる。

パフォーマンス評価が日本で根付かない背景は、時間とパフォーマンスの相関関係ゆえなのかもしれない。

Sunday 2 March 2008

RESOLUTION 08

今年の決意は、根。

これは、アメリカで生活を始めるにあたり、また今年30を迎えるにあたり、自分の「根」となるものを考え、自分の「根」のために動く、という意志。

RESOLUTIONS

97: 継続
98: 努力
99: 挑戦、自分に厳しく
00: 経験、自律、美、規律
01: 思考、実行、実、重、謙虚
02: 自、高、考
03: 向上、覚悟
04: 結
05: 立
06: 誠
07: 真
08: 根

START

blogを始める。

Kalafは、昨年末にJordanを旅した際にガイドがくれた名前。ただし意味はないらしい。Ahoraは、スペイン語で「今」という意味。

KalafのAhoraを?!に綴ろう。