Wednesday 30 April 2008

Forbidden Broadway

Amazing!

今日観たミュージカル"Forbidden Broadway"は、"Musical Comedy"との説明のとおり、ミュージカルやショーのパロディだ。四人の役者が、幾つもの役を次々に演じる。少し古い映像だが、こういうミュージカル。

悔しいことに満足には理解できなかったが、それでも四人の役者の表現力はKalafを何度も笑わせるのに十分であった。芸が実に細かい。意識が細部に行き届いていることがよく分かる。

演奏はピアノだけ。まるでピアノのライブでもあるかのよう。こういうグルーブ感のあるピアノを弾きたいと思う。

変幻自在の表情とピアノのビートに影響され、帰り道、Kalaf以外に誰も乗っていないMover(空中電車)の中、一人ミュージカルをしたのだった。

それにしてもアメリカはパロディが好きだ。大統領選挙のパロディもYouTubeやテレビに溢れている。

Tuesday 29 April 2008

車-2: 保険 & 免許証

(続き)
フロリダの自動車保険は悲劇的だ。ハリケーンの影響で保険料が他の州に比べて数倍違う。しかも、2005年のHurricane Katrina以来、大手の保険会社の幾つかはフロリダの個人保険から撤退したそうだ。加えて、今度は、Kalafはdriving historyがないと言われる。あるわけがない。

Kalafの自動車保険探しは、オンライン保険から始まった。PROGRESSIVEGEICOesurance。相場は年間$3,000から$6,500、車のリースと変わらない。うつむきたくなる。実際にうつむく。

ここでKalafにluckyが訪れる。日本人赴任者からNJにある"Murao Agency"の存在を聞く。サイトもない小さな代理店だが、NYやNJ近辺では日本人赴任者の間で圧倒的に支持されているそうだ。それもそのはず、早速電話をするとオンライン保険では全く期待できない丁寧な説明。そして保険自体も年間$2,000弱と文句なしだ。時既に遅しではあったが、日本人ディーラーもここで紹介されたのだ。

この時点で、LibertySTATE FARM等、いわゆる大手代理店が残っているのだが、Murao Agencyで心は決まっている上、これらは店舗まで行かないといけないため、選択肢から消える。

車でも保険でも実感したことは、"Knowing or Not-Knowing"。大きい。

最後に運転免許証。素晴らしい勉強サイトのおかげで一発合格。ついに住所を証明するIDが手に入り、ID獲得ロードは終わりだ。長かった。

さて、免許の勉強をする中で強く感じたことが一つある。それは、"読む聞く話す"英語と"理解する"英語は、"記憶する"英語と全く違うということだ。結局、Kalafは理解まではそれなりに英語脳なのだが、記憶は英語脳ではない。こういう場合、この溝が厳しい。これについては、Kalaf自身の言語脳を探ってみたことがあり、それはまた別の機会に書こう。

車-1: ディーラー

headacheが治まり、一気に爽快な気分。マイアミに着いて以来のbiggest mustであった車がKalafのもとにきた。もちろん自動車保険も契約した(法律で義務付けられている)。そして運転免許証も手にした。嬉しい以上に落ち着いた。

アメリカで生活を始めるものにとって自動車の購入は一苦労。credit history(信用履歴)が全くないため、現金があったところで車を売ってくれない、リースしてくれない、あるいはunreasonableな金額が提示されるケースが少なくない。そもそも初めてのアメリカ生活なのだからcredit historyがないのは当然、一方でアメリカは車社会。この矛盾、Kalafも何度か理不尽を感じた。多様性の感受、忍耐、鍛錬、と言い聞かせながら・・・。

加えて、リースはpricingが複雑で、話をよく聞くと提示額に含まれていないものが幾つか出てくる。例えば、ナンバー・プレートやディーラーの初期経費、warrantyだ。車のディーラーは巧妙。

"In Miami, believe nothing what you hear, and believe half what you see."

これは、マイアミに来る前にマイアミ出身の同僚に言われた言葉だが、この教えを忠実に守り、メールで交渉を続けるとようやく総額が見えてくる。最終的には納得のいくdeal。

車選びではluckyとunluckyが一つずつ。luckyはディーラーが日系人のよしみで(とAkiraは言った)、誠実かつ迅速な対応を常にしてくれたこと。Akiraは最初からボトム・ラインで話を切り出し、変動要素とその変動額の説明をくれた。これは他のディーラー(ほとんどがヒスパニック)では多くはなかった対応だ。心を許した、は言いすぎだが、彼へのプレミアムをKalafが感じたことは事実。

Akiraから学んだ交渉術、それは"できる"ことと"できない"ことを最初に明確に伝えることだ。基本ポリシーを明らかにすることとも言い換えられる。これは、万事の手立てではなく上手に使う必要があるが、今回はこのAkiraの姿勢に信頼を覚え、unluckyを"レッスン料"として無理やり呑み込ませることに成功した。

そのunluckyとは、Akiraとの交渉が終わりに近づいた頃、日本人のディーラーの存在を知ったことだ。結果論だが、最初からこのディーラーに頼んでいれば$2,000程度のディスカウントさえ可能だったかもしれない。

ここでの実感。それは、アメリカでは(そして、おそらく他の地域でも)日本人のチャネルがあり、このチャネルにたどり着くことがいかに意味のあることか、ということだ。日本食材をどこで手に入れられるか、は瑣末な例として分かりやすいであろう。この意味で、自動車保険はluckyだった。日本人チャネルにめぐり合ったからだ。

(続く)

Monday 28 April 2008

ご飯

想像力の話をしたい。

二箇月がこれほどの感動をくれるものとは、それこそ想像もしなかった。二月末の渡米以来、初めてお米を炊いた。

まずお米を研ぐ。糠のにおい、お米が擦れる音、そして水を流す際にお米が転がる音。米粒をこぼさないための集中。

次に水に浸す時間。静かなたたずまい。Kalafは水に沈むお米を美しく感じる。

続いて火(電磁コンロ)にかける。10分程度すると、吹きこぼれと同時に"ご飯"のにおいがキッチンにただよい始める。自然と笑みが出る。ただし、久しぶりの"ご飯"であることに加え、空腹にはここからが長い。

火を弱め、ひたすら待つ。その間に"ご飯"のにおいは徐々に完成に近づく。ガラスのふた越しに鍋の中を凝視する。もちろん炊き上がる早さは変わらないのだが。

火にかけ始めてから20分を過ぎると水気はなくなる。火から外す。我慢の限界を感じながら約15分待つ。見た目は十分に食べられそうに思えることがさらなる忍耐を強いる。

ついに、ついに鍋のふたを開ける。Kalafはここで絶叫に近い喜びの声を上げた。立ち上る湯気と"ご飯"のにおい。炊き立てのご飯をよそる際、炊飯器のふたを開ける。いつもそこに、当たり前にあったあの炊き立ての"ご飯"におい。しゃもじで柔らかくかきまぜる。湯気が落ち着いてくる。

いよいよお茶碗によそる。炊き立ての白米だ。

座る。思いがけず合掌をし、いただきますを言う。心を込めて。

一口食べる。うまい。これは「おいしい」ではない。「うまい」だ。うまい。

もう止まらない。我慢しない。一膳を一分もかけずに食べる。おかわりにキッチンに戻り二膳目をよそる。今度はゆっくり味わいながら食べる。うまい。

お米、ご飯、お箸、お茶碗・・・。日本語では、元来、感謝や敬意の対象に「御」をつける。これは"八百万の神"の思想だ。"命をいただく"という意味の「いただきます」。ともに父から聞いた話だ。父は米屋のせがれ、Kalafは米屋の孫だ。

Sunday 27 April 2008

La Boheme

認めたくはないが、感覚がそう言うものだから仕方がない。マイアミは、オペラにはやや向かないかもしれない。それもそのはず、"Sunshine State"の名前のとおり、これだけの太陽と青空、ビーチがあればそれだけで欲張りか。

さて気を取り直して・・・、初夏のマイアミ、しかも日曜日というのにジャケットにネクタイを締めCarnival Centerに向かう。オペラ、プッチーニの"La Boheme"。Kalafにとって2000年のウィーン以来のオペラ。奮発して1階ボックス席の最前列だ。 舞台は冬のパリ、売れない詩人と画家、音楽家に哲学者。まさにボヘミアン。詩人ロドルフォとお針子ミミの恋の行方はこちら

"マイアミでのオペラ"とは言え、オペラはオペラ。舞台に吸い込まれる。鳥肌が立つ。おかしな表現だが、毛穴が開くように感性が広がる。ヨーロッパ人は実に優雅な趣味をつくったものだ。来シーズンは何をどこで観ようか、今から楽しみだ。

Saturday 26 April 2008

Kalaf城、公開

Kalaf城ツアーへようこそ。

まずはドアのすぐ脇、チベットからの使者。人は怖いという。強面でなければ、守り神にならない。
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リビングとダイニング。ピアノを弾き、ソファで本を読む。曲線が素敵なダイニング・セットと、同じく北欧からの木製の小さな棚。天井からは間接照明。

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左からタイ、デンマーク、セネガル、イングランドのcharms。彼らはいつも一緒。ピアノの上がお気に入り。

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バルコニーからUpper BrickelとDowntown。木々から鳥の囀り。青と緑、そよぐ風。たまに朝食のバルコニー。

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ゲスト・ルーム。いつ、どこから、どなたがいらっしゃるのかしら。

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オーナーのMary、大事な忘れもの。

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Kalafの寝室。Mary曰く、ビクトリア調。大きくて、ややかたく、寝やすいベッド。枕元のorchidは、Maryからの預かりもの。

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最後に、山田容弘の『花嫁』。花嫁の名はGamal、アラビア語で"月"。

Tuesday 22 April 2008

Osteria del Teatro

タコスの旅から戻り、食べ慣れた味(※)を求めてSouth Beachのイタリアンへ行く。幾つかの"ベスト10"サイトで評判の良いOsteria del Teatro

-メニュー: ツナとトマト・ソースのWhole Wheat(全粒小麦)手打ちパスタ。手打ちパスタ好きのKalafが思わずうなずくWhole Wheat生麺の蕎麦のような食感とごろごろと入ったツナに密着してからまるトマト・ソース。デザートはティラミスと迷ったが、アップル・タルト。酸味のある煮リンゴとしっとりとしたパイの組み合わせがハッピーなアメリカン・サイズで出てくる。アメリカのスウィーツにあらずおいしい。

-総合: 6/7; 気取った特別な機会に価値のあるイタリアン。客層もリッチ。
-味: 6/7; パスタもタルトも食感が特筆。
-雰囲気: 6/7; リッチな雰囲気ながら気張りすぎず、店員もスマートかつソフト。
-単価: $50~100(!)
-アドレス: 1443 Washington Ave, Miami Beach, FL

入って"Nice!"、食べて"Wonderful!"、会計で"I see...!"。サービス・チャージとチップで約30%、味の満足を思い出し辛うじて笑顔。ここに限らず、メニューに載っていない"今晩のおすすめ"には注意。今日のパスタもそう、会計時に驚くことが少なくない。

※)Kalafはイタリアン好き。

Friday 18 April 2008

メキシコ: 南下

前回のメキシコに関する記述を訂正する必要がある。

メキシコの殺伐とした印象を書いたが、二日目にGuadalajara(グァダラハラ)に着いた際、これがChihuahua(チワワ)周辺の環境に過ぎないことを確認した。緑が多く花も咲いている。そして、何より街がdevelopedなのだ。メキシコは全土が荒涼とした土地ではない、発展した国だ。

このことは、上空から首都のMexico City(メキシコ・シティ)に近づくにつれ、より明白になった。雲を抜けると眼下には整然と区画された都市、この写真の街並みが着陸まで続く。この間、おそらく15分くらいはあったであろうから、市街地が極めて広域に渡っていることが分かる。街が平べったくどこまでも広がっている感じだ。後からMexico Cityの人口が2,500万人であることを聞き、なるほどと思う。感覚的には、Mexico CityはTaipeiの7割程度の発展度合いとでも言えようか。

"メキシコは砂漠"、この理解がとんでもなく間違いであったことを、メキシコ人に話を聞きさらに強く認識した。Mexico Cityでは杉系の木が多く見られるが、南下すれば気候はもっと湿潤であり、葉の大きな木(広葉樹)が増えるそうだ。ホテルの朝食時に並んでいるパパイヤやマンゴーは国産らしい。今日のランチでは、グァバのフレッシュ・ジュースを飲んだ。これらは東南アジアでも豊富に採れるフルーツであるから、メキシコがいかに様々な気候とともにあるかが実感できる。

ところで、今回、Kalafはメキシコに関する事前準備を一切しなかった(もちろん仕事の事前準備はした)。ガイドも購入せず、インターネットで調べもしなかった。加えて、これまでメキシコを知る機会はほとんどなかった。結果、メキシコに着いてから目にするものが、すんなりと入ってくる。これは不思議な感覚だ。先入観がゼロに近いから、"こういうところなのか"とそのまま受け止められる。新しい土地の自分へのインプットと言う意味で、面白い体験をしている。準備をして得られるものと、全く違う感覚に気がつく。これはこれで悪くない。

Wednesday 16 April 2008

メキシコ・デビュー

KalafのメキシコはChihuahua(チワワ)から始まった。ダラス(テキサス州)から飛行機で二時間のところにある。荒涼とした大地と射すような陽射しがどこまでも広がる。どことなしに、年末年始に訪れたJordanを思い出す。Jordanも大地がむき出しの地だった。

月曜日の夜に到着、翌日は朝からパートナー工場での打ち合わせのため外を見て回る時間がないまま、次の目的地のGuadalajara(グァダラハラ)に向かう。

機内からの景色、ひたすら荒野が続く。テキサスからの同じ景色だ。

メキシコは、この荒野が国土の大部分を占めると言う。これは直感だが、砂漠の中に人の生活域を作る、また気候が偏っているという条件のため、経済発展の及ぶ範囲とその方向性は限られるのであろう。Kalafは経済発展にとって一番大きな要素を自然条件と考えているのだが、メキシコの大地を見てその思いを強くした。

Guadalajaraに到着、アメリカ系のホテルにチェックインし、フランスの水で喉を潤し、イタリアンを食べる。慣れた生活環境を維持することを自然に求めている自分に気がつく。特にこれだけ移動が続き体に負荷をかけている時は、なおさらそうなのであろう。

ふと、グローバリゼーションの、ローカルにいながらもローカル以外の物品やサービスへのアクセスを可能にする、しかも経済力という代替物を通じてそのアクセス欲求が実現されるという側面を感じる。

Tuesday 15 April 2008

中南米でのインテリジェンス活動

マイアミからテキサスを経由し、メキシコに入った。その機内で読んだ、手嶋龍一と佐藤優の対談、『インテリジェンス 武器なき戦争』がKalafの中南米での仕事を発想する上でヒントをくれた。

この本は、"インテリジェンスとは何か"、"日本のインテリジェンスについて"の二つが大きなテーマだ。知的に好奇心をそそり、ただ感覚的には"裏"の世界だけに凄味を覚える本である。鈴木宗男事件の"国策捜査"性について書かれた佐藤優の『国家の罠 外務省のラスプーチンと呼ばれて』とあわせて読むと一層おもしろい。なお、Kalafは筆者のインテリジェンスの定義を「情報の背後をいかに理解し(点を線にする)、それを国益に結びつけるか(線を面にする)」ととらえた。

さて、ヒントはと言えば、Kalafの仕事もインテリジェンス活動の側面を帯びていると認識したことだ。今回の出張も鉱脈を掘り当てるための地質調査の側面が強く、良質の鉱脈のためには各拠点(この一週間で三箇所を回る)に"案内人"が必要だ。彼らとは、筆者の言う"インテリジェンス・オフィサー"関係を今後築く必要がある。

また、Kalafのマイアミでのポジションをconsiderすると、別のインテリジェンス活動が見えてくる。すなわち、①グローバルのオペレーション・スキームを担う本社サプライ・チェーン、②その傘の中でアメリカ(北、中、南)のオペレーションを管轄するアメリカ・サプライ・チェーン、③中南米のセールス拠点のマイアミ。この地図に、Kalafの出身は①、所属は②、現在のベースは③という背景および中南米のパートナー(部品、工場、物流)を加える。そして、Kalafはオペレーションの改善や構築には関与するもののexecutionそのものはしないという任務特性。案内人との関係が線だとすると、これは面の"インテリジェンス"ととらえられる。

Kalafの仕事をインテリジェンスとして位置付けることを可能にした本であった(英文和訳のような文体だ)。

興味深い引用:
"秘密情報の98%は公開情報を再整理することによって得られるという"(p4、佐藤)
"インテリジェンス能力は当該国家の国力から大きく乖離しない"(p5、佐藤)
"インテリジェンスや情報力は、自分の弱いところをできるだけ隠して、強いところを実力以上に強く見せる技法"(p85、佐藤)
"自分しか知らないような真実を掴むというのは、本当に面白い"(p225、佐藤)

Saturday 12 April 2008

Basketball

これはスポーツではなくショーだ。HEATの試合を観ての感想である。

コートの上も座席の上も宣伝や照明が"ネオン"のごとく光る。スピーカーからはDJの絶叫が"鳴る"。スタンドからは歓声やブーイング、指笛が絶えず響く。タイムアウト時にはDancersが腰をくねらせる。先週のテニスとは大違いだ。

アメリカのプロ・スポーツは競技というより興行、この印象が先に強く入ってしまったため、スポーツとしての試合を遠ざけてしまった気がする。違和感があった。ゲームを集中して観ていなかった自分に不思議な気さえした。

それでも、もちろん随所で見られたNBAならではのプレーには"Wow!"。テレビのハイライトの世界そのままだ。

ゲームとは別に面白かったのは、全身で楽しんでいる観客が多くいたことだ。これはプレーへの反応に限らず、タイムアウトの際のパフォーマンスにあわせてリズムをとったり、スクリーンに映りたいがためにアピールをしたり・・・。正確な表現ではないが、彼らは陽気に思える。陽気、あるいは楽天的、あるいは刹那的、ラテンという要素を差し引いても、アメリカという社会の特徴なのだと思う。人が集まる場所では、なお更にそう感じる。

Friday 11 April 2008

ホールド

昨日、"進展"と書いた。とんでもない、油断は禁物、一転"ホールド"だ。

木曜日の時点で土曜日に納入と思っていた車だが、早くても日曜日との連絡が夕方にあった。下手をすると、日曜日も難しそうだ。さらに下手をすると、話がついたと思っていた金額では折り合いがつかず、交渉が振り出しに戻ることもあり得そうだ。そもそもがディーラーの狙い通りなのかもしれない、とさえ思い始めた。やれやれ、心の準備が必要なのか。険しい。

聞くところによると、車の購入はアメリカ人にとっても苦痛(pain)らしい。車が必要なカスタマーと取引が必要なディーラー。当初、買い手もしくは借り手が有利だと思っていたが、必ずしもそうではない。カスタマーはディーラー世界の商慣習に不慣れなこともあり、実は不利だと気づく。車の必要性が不利の度合いをさらに押し上げる。もう少し情報の非対称性を埋めないといけない。

Kalaf、必要性のバランスも情報の非対称性も、ポリティクスにおける基本のストラクチャーだよ。

もう一つ、今日から開通のはずのインターネットがつながらない。テクニカル・サポートが必要な場合も考えられるため、もしかしたらと予想はしていたが案の定。今は、アパートのパブリック・スペースから書いている。

一連の手続きや準備を通して感じることは、"忍耐"。"許容"とも言い換えられる。赴任に限らず、海外に出るとこのことを強く実感する。人間の幅を広げる体験、と自身に言い聞かせる。気持ちは筋トレと同じだ。体を強く大きくするためには、一度筋肉繊維を破壊し、その回復を待つ。この繰り返し。

つまりKalafはメンタル・アスリート。焦ったところで、苛々したところで結果は出ない。Kalaf、メンタル・アスリート・・・、トレーニングだよ。

Thursday 10 April 2008

進展

今日、大きな進展がなされた。

・本国から荷物が届いた。衣替えだ。ピアノが嬉しい。
・在留届を領事館に提出した。これで衆議院選挙に関与できる。
・車を決めた。HONDAだ。
・自動車保険を決めた。高いことに驚く。

明日はインターネットが開通予定。

Step by step・・・。マイアミ到着から四週間、いよいよ仕事へのフル・フォーカス。来週はメキシコに飛ぶ。

Wednesday 9 April 2008

Kalaf入城

一昨日、4月7日、アパートに入った。素晴らしい、快適だ。明日、本国からの荷物が届く。生活のベースが整いつつある。

Monday 7 April 2008

Tennis: 個人競技

(続き)
別の視点からテニスが面白いと感じたことがある。"個人"競技であるということだ。コートには自分と相手しかいない。

この個人競技の魅力を強く実感したのは、2006年トリノ五輪での荒川静香のフリーを観ている時だ。テニスもフィギュア・スケートも四方を観客に囲まれ、一人で中心に立つ。一度プレーが始まれば、そこには自分しかいない。ミスをしようとも負けていようとも、最後まで続ける。この一人の緊張感と精神力が観ていて伝わってくると、心が動かされる、すごい、と思う。こういう環境下で常に勝負をしている人にKalafは敬意を覚える。

Kalafにとっては、ここ二、三年で何度かあった人前でのピアノ演奏がこれに近い。あれも完全な個人競技だ。克服できないことを実感できるほどの緊張に制圧された自分をよく覚えている。またチャレンジしたいと思っている。

[写真]
Men's Semifinals: Nikolay Davydenko (RUS) vs Andy Roddick (USA)

Tennis: 初

Sony Ericsson Open、初めてプロ・テニスを観た。淡々としたスポーツだ、そしてかっこいいスポーツだ。

あの長方形のコートの中で、交互にボールを打ち続ける。相手が返せないところに打つ、もしくは相手がネットを越せないか枠を外す、基本的にはこれだけだ。ところが、この淡々とした繰り返し、不思議と真剣に観入ってしまう。

まず純粋に動作の一つひとつがかっこいい。しかも一つひとつの動きが流れになっていることが美しい。そしてこの二人のプレーヤーの流れるような動きは、ボールを打つほぼ単一のリズムとシンクロする。音楽と同じで、連続の中に拍が存在し、これが観る側にテンポを感じさせるのだ。

もう一つは、ポイント毎に完結しており、ポイント毎に見どころがあることだ。テニスはプレー中は静かに観戦するスポーツだが、ポイントが入る度に歓声や拍手が起きる。一見単調だが、常に見せ場があり飽きないのだ。会場との一体感も観る集中力を助ける。

[ゲームを観た主な選手]
Federer, Nadal, Roddick, Davydenko
S. Williams, Henin, Jankovic, 杉山愛

(続く)

Friday 4 April 2008

Obamaとアメリカ

Obamaの選挙キャンペーン映像を見て感じたことを書く。Obamaの二つのスピーチ、"Yes We Can"と"A More Perfect Union"をNew Yorkの高校の授業で扱った際の映像だ。

この映像を見て鮮烈に気が付いたことは、Obamaの"メッセージ(言葉)"が汎用性を持ち、この汎用性がObamaへの支持そのものであるという事実だ。

映像の中で、彼らはObamaのメッセージを何度も口にしている。Obamaの"Yes We Can"というメッセージをもとに、彼ら自身の"Yes We Can"をスピーチしてさえいる。これは何気なく、すごいことだ。そう、彼らは彼ら自身にObamaを重ねているのだ(Obamaに彼ら自身を重ねているのではない)。同様に、Obamaのスピーチが高揚感をもたらす理由の一つも、Obamaが連呼するこれらのメッセージが聴き手にとっては自分自身に言い聞かせるメッセージであるからなのではないか。

もちろんこの映像はObamaの選挙キャンペーンの一つとして作成されたものではあるが、これを差し引いても、Obamaのメッセージのエネルギーがその"汎用性"にあることに気が付くには十分であろう。

もう一つ、この映像からはアメリカの国力を感じることができるのではないだろうか。高校で、しかも恵まれた高校ではないにも関わらず、生徒がはっきりと自分の意見や考えを人前で述べる。題材は大統領選挙のキャンペーン演説だ。アメリカ社会が尊重すると言われる"個人の確立"や"自己主張"がこうして育まれていくことを垣間見た気がする。こういった側面は、Kalafの仕事の場でも十分に認識できるものだ。

Kalafにとって政治力とは、"納得させる力"あるいは逆説的に"諦めさせる力"とも言え(これは大国に共通の力だ)、この授業の雰囲気の中にこの力に通じるものを感じる。日本(人)が海外と接する上で認識すべき前提だ。

参考スピーチ:
"Yes We Can"
"A More Perfect Union"

Thursday 3 April 2008

門番

門番のイグアナだ。Kalafのオフィスは小さな島にあり、この島に架かる橋のたもとの茂みが彼らの見張り台だ。

毎朝、門番は侵入者が来る方向を向いて総出で見張りにあたる。この門番は直立不動で忠実に任務を遂行中だが、真面目な門番ばかりではない。見張り台の上で朝食中の門番、追いかけっこをしている門番さえいる。おまけに彼らの出勤はどうやら天気の良い日だけのようだ。

この見張り台に目配せをしてKalafの一日は始まる。

Tuesday 1 April 2008

from Morning to Evening

"America loves America."

今朝オフィスに向かう途中、この清掃車を見てそう思った。全身が国旗模様だ。

アメリカは日本のように民族が単一なわけでもなく、中国のように歴史があるわけでもなく、フランスのように文化に自信があるわけでもなく、国を包括する、あるいは国を横断する要素に乏しい国だ。だからこそ、アメリカという概念そのものに対し、その概念が個人により異なるにも関わらず、attachmentを持つのであろう。その表出の一つがこの清掃車であり、街中至るところで見かける国旗なのであろう。このattachmentのsumがアメリカの国力の源とさえ思う。偉大なattachmentだ。これが朝の気づき。

右の写真、夕刻の湾と空だ。ただそれだけの写真に見える。ところが、だ。Kalafは、ここでイルカに出会った。

オフィスの裏口を出るとそこはBiscayne Bayの入り江で、ここにイルカが来るとは聞いていた。ただ、今日そのことを思い出していたわけではなく、水面に飛び出た"何か"に気がついた時、実はぎょっとした。その"何か"が水中に消え水面に残ったサークルを見て初めてそれがイルカだと気がつき、そして時間の流れが止まった。

彼は、本当に静かにそしてゆっくりと背びれを水面から出し、また潜り、次は少し背中も出し、そしてまた潜り、これを数回繰り返し、湾の方角に消えた。彼が一度だけ見せた実に滑らかそうな、柔らかく丸みを帯びた背中が、あまりに悠然としていて、そして彼は一人だったからであろう、どことなく切なくて、Kalafは彼を見失いたくなく、しばらく写真の方向に彼を探した。これが夕方の出会い。