Thursday 28 August 2008

丸谷"才"一

丸谷才一、『男もの女もの

  "セーターやハンカチの女ものは男ものより小ぶりである。しかし女向けのミステリは恋がはいる分だけ長くなるといふ。なるほど、物によつていろいろ違ふんだなと感心する。
  ところでわたしの随筆は明らかに男向けだが、これが以外に女の読者が多いと聞いて、ちよつと嬉しくなった。男もののセーターをすつきりと着こなすやうなもの、と見立ててはどうだらうか。"

冒頭にこう書かれている(丸谷才一は文語仮名遣いで書く)。何と素敵な文章を書くのだろう。

丸谷才一の本は何冊か読んだ。Kalafが好きな理由ははっきりしている。極めて文章がきれいであり、かつしっかりしていること。もう一つは発想が奔放に豊かで、しかも教養に溢れていること。

気ままで、軽妙で品がよく、ユーモアと遊びがあり、そして何より美しい。本当の教養・文化人に違いない。

こういう文章を書きたいと思う。

Yaman!の国 -3: True Vacance in Resort

朝、何となく目を覚まし、ベッドの上で本を読む。午後は、椰子の木に掛けられたハンモックでうたた寝をする。気が向けば少し泳ぐ。食事はダウンタウンで済ませる。移動はもちろんホテル手配の車両。"危機"の翌日はこう過ごした。












欧米人が長期の休暇をリゾート地で過ごす理由が分かる気がした。"何もしない"快適がある。これは贅沢だ。これまでは意識的に敬遠してきたが、ここはマイアミ、これだけの"地の利"があれば、悪くない。

次は今週末か?!

追伸)ところで、ジャマイカと言えば、レゲエのBob Marleyのような風貌を想像するかもしれないが、必ずしも多くはない。

Yaman!の国 -2: Unlucky but Lucky Still...

(続き)
軽率だった。

ガイドブックに書かれている危険説明の通りに丘の上に連れて行かれ、車が止まる。向こうは若い男が二人だ。海外でここまで直接的な危険に陥ったのは初めてだ。当然、自分が悪い。冒険だ、経験だ・・・、そういう話でも全くない。真面目に後悔する。

短距離走で金メダルを独占したジャマイカ人が相手な上、Kalafはビーチ・サンダルだ。しかも逃走を試みれば逆撫でする。血の気が引くのを感じながら、"そこまでひどくない暴行"を覚悟のラインとする。平静を装い、相手の気を立たせないように話す。(そう言えば、どこかで同じようなことを考えたな・・・。Naplesに行く時だ・・・!)

その時のKalafは、$10程度の現金以外には携帯電話しか持っていなかった。これが幸いした。彼らがこなれていなかったこともKalafを助けた。

ラッキー其の一: 財布とパスポートは部屋に置いてあった。海外で出歩く時の基本(偉そうに!)。

ラッキー其の二: 彼らは携帯電話を渡せとは言わなかった。(実は渡しても良いように、車が丘に向かって進路を変えた時にSIMカード(これがないと電話がかけられない)とメモリー・カードは抜いておいた。偉くない!)

ラッキー其の三: 彼らは、まずは$10でその場は良しとした。一旦ホテルに戻った後、あと$50を持ってくるように言う。もちろんKalafは"分かった"と伝える。

ようやく車が動き出す。油断はできないものの、最後の交差点を過ぎホテルに向かっていることを確認する。ここで事件はほぼ終わった。

ホテルは外部者・車両が入れないようにゲートがあり門番がいる。車が止まる。ゲートを開け敷地内に入ると、ゲートが閉まる。しのいだ・・・!

マネージャーに事情を話し、彼らと話をしてもらう。彼らは随分と憤っていたらしいが、諦めて帰る。マネージャに謝り、そしてお礼を言う。その時はそこまで余裕がなく、さすがに"Respect."とは言わなかった・・・。せっかくチャンスを、少しもったいないことをしたな・・・。

今回のバカンスのハイライトか・・・。今後は、リゾートではリゾートらしく振舞おう。"Respect!"

Wednesday 27 August 2008

Yaman!の国 -1: ゆったりとdodgy

信じられないくらいに時間のかかったパスポート・コントロールは、ジャマイカがゆったりした国であることを実感させるに十分であった。本当に、辛いくらい並んでいた・・・。

一夜明けカーテンを開けると、その意味が一瞬で分かった。















もちろん、ここはリゾート・ホテルだ。そういう設計がなされ、そういう配慮と運営がある。それでも、やはりジャマイカは全体的にゆったりしている。

待ち行く人はゆったりと歩き、冷やかしに店に入ればゆったりと話しかけられ、滞っているとまでは言わないが、街全体の雰囲気がそうなのだ。

さて、ジャマイカでは"Yes."の代わりに"Yaman(ヤーマン)."と言うとは聞いていた。また、"Respect."が"OK."や"Thank you."を意味するとも聞いていた。行く前から、Kalafはこれを楽しみにしていた。

どちらも本当に言う。そして、この挨拶は実にジャマイカの雰囲気に合う。気だるいくらいの天気とゆったりとした空気の中、"Yaman."と言い合う。癖になる。何となく、瑣末なことが気にならないような気にさえなる。意味もなく"Yaman."と言うと、意味もなく"Yaman."と返ってくる。やはり基本はゆったりなのだ。

話がこれで終われば良いのだが、Yamanの雰囲気とは別の次元で、ジャマイカは確かに穏やかな国ではない。dodgyなのだ。ダウンタウンを歩くと相応の視線を感じる。ピリピリする緊張感がある。残念ながら、Kalafの危険探知機が反応したため雑踏の写真は撮らなかった。


写真はここまで。

実は白タクに乗った・・・。白タクと言うより、ダウンタウンを歩いていたら、(タクシーではないという意味での)普通の人に"Taxi?"と声を掛けられ、ホテルで手配する車両があまりにも法外であるため、ついつい乗ってしまったのだ。

(続く)

Tuesday 26 August 2008

アスリートの次

勝負、すなわち競技、試合、シーズン、大会、アスリート人生が終わった後のアスリートが好きだ。勝っても負けても、言葉にならない思いや感情が発露し、それらを口にする姿に心を打たれる。五輪は特に言葉が響くアスリートが多い。

勝負が終わると、アスリートは練習場に戻るか、新しい路を模索し始めるか、あるいは暫し立ち止まる。そう、次を目指して。彼らの次への決断は、彼らのそれまでの生活があまりにもその競技一色であったため、不器用にさえ見える。

普通、いわゆる働く人々は数年先のキャリアを漠然とでも抱いている。あるいは考えないという選択肢さえ成立し得る。アスリートは、きっとそうではない。才能、環境、努力があり、その上で運が必要で、成功する可能性は決して高くはなく、そして輝ける期間も短い。競争はあまりにも熾烈だ。報酬が安定を保障することは少ない。

どれだけの精神力でたたかっているのか。トップ・シーンを目指し続けるにせよ、また立とうとしないことを決めるにせよ、彼らの心境は想像することすら難しい。だからこそ、次がどうであれ、特に負けて搾り出される彼らの言葉は衝撃のようにKalafに落ちる。

Kalafが最も好きな職業はアスリートだ。Kalafがそれになることは確実になく、だからなのかもしれないが、なりたい職業を聞かれれば今でもそう答える。

Basketball

既に二箇月近くバスケットをしている。毎週二回、近くの公園で同僚とだ。たまに公園にいる"kids"や"guys"も加わる。

毎回二時間程度、2 on 2か3 on 3をひたすらし続けるこの"クラブ"、メンバーのコミットメントが自分たちで褒め合うほど強固で、決まったメンバーは毎回欠かすことなくプレーする。時間も決まっている。雨が降っても、一人のメンバーのアパートにあるインドア・コートでプレーする。まるで部活。

いいね、いい。すごくいい。しかも、上手くなるから楽しい。

Kalafはシューズまで買ってしまった!

Monday 25 August 2008

砂と石と泥

松本健一、『砂の文明・石の文明・泥の文明

文明を三つに、すなわちイスラムの"砂"、欧米の"石"、アジアの"泥"に分類し、それぞれの説明を試みた文明論。砂を"ネットワークする力"、石を"外に進出する力"、泥を"内に蓄積する力"と説く。文明論としては特に真新しいことが書かれているわけではないが、"文化"・歴史的な記述は示唆に富み、世界の"極"の思考プロセスへのヒントが得られる。

欧米の"プロダクト・イノベーション(富の生産手段)"、アジア特に日本の"プロセス・イノベーション(富の生産工程)"という表現はしっくりくる。日本はこの"後追いの美"を前向きに発想できれば気が楽なのにと思う。

やや懐古的あるいは愛国的な思想が散見されることは否めない。

Thursday 21 August 2008

Medal Count Map

単にこれまでの夏季五輪の国別メダル数なのだが、面白い。このグラフィック、すごい。

冷戦期の各陣営の守備範囲(攻撃対象?)や中国の改革開放、アフリカの発展、日本の局地的なドロップ、ヨーロッパの均衡、韓国の躍進・・・、時系列に沿って見ていくと、視覚的に世界史や世界経済をたどっているよう。今後、中国のサークルがさらに大きくなっていくのだろうな。いびつになり過ぎると、オリンピックの面白みが薄れはしないかと思う。

"このグラフィックを見て分かることと、今後考えられることは?"は中学受験には簡単過ぎるかしら。

ところで、日本では金メダル獲得数の順に並べるが、アメリカは総数。イギリス(BBC)は日本と同じ。

永井荷風@外遊












文豪が、当時西欧とどう接し、それをどう表現するのかという興味で読んだ2冊(あめりか物語ふらんす物語)は、永井荷風が20代後半をアメリカ(4年)とフランス(1年)で過ごした時の観察小説(短編集)。日本への帰国は今から丁度100年前の1908年。

冗長で、正直、無理して読み切った。いつだか夏目漱石を集中して読んだ歳にも似た感想を抱き、友に"純文学だから"とあっさり言われたことがある。彼はその時、"河童が息継ぎをしないで泳ぐ"と表現した。これは言い得て妙。

さて、荷風は放蕩者の風来坊だったらしく、退廃というか耽溺というか、今日にしてみれば浮世の風だ。荷風の外遊から20年程遡るが、"ふらんす物語"はまさにロートレックの世界。Kalafの記憶にあるパリの街角が自然に想像され、ロートレックの狂騒と交じり合う。

"あめりか物語"に見られる当時の文明の差は、今日で言えば国力の差として知覚できるような気がする。100年経っても、差はあるということか・・・。

嗚呼、京都の友は何と言うだろう。

※)写真はワシントンDCのNational Galleryにて撮ったもの。Kalafはロートレック好き。

Wednesday 20 August 2008

a leadership

ふとリーダーシップについて考えた(思いついた)。

基本的には"センス"なのだと思う。ただ、この一言で片付けるつもりはなく、それは、"自分にリーダーシップがある"と気が付くかどうかという意味でのセンスだ。

"ある"と自分で気が付く人は、自然と、あるいはもちろん意識して、"自分がリーダーシップを取れると思った時に実際にそのリーダーシップを取る"ことが多いのではないか。

この積み重ねから、その内にリーダーシップのマインドだったり周りからの評価や期待が生まれる。そして、このサイクルがリーダーシップを内側からも外側からも"育てる"。

"noblesse oblige"を伴うエリート教育にもこの循環があるのだと想像する。

Tuesday 19 August 2008

養老孟司

いわゆる世間で囃し立てられている本を読むことは少ない。養老孟司の『バカの壁』もその顕著な例であったが、読んだ。数百万部も売れた背景を知りたかったことと、あだ名が"クマ"という仲良しの"おっさん"(※)が理系本として読めば悪くないとすすめたからだ。

随分前に読んだのでよく覚えていないのだが、売れた理由は"売れたから"以外には分からなかったと記憶している。"在るものは在るもの、気張らずに"と"少しは考えて生きろ"がメッセージで、このメッセージを諸々の事象を生理的な"脳"の観点から考察する本とKalafは自分に押し込んだ。

確かに"クマ"の言った通り、理系本としての側面は面白かったと記憶している。この手の理系的な側面は頭に立体のイメージを起こさせることがよくあり、これが好きだ。

あわせて『無思想の発見』も読んだ。タイトルの通り、"日本には無思想という思想がある"というメッセージ。この本は面白かった。すっと入った箇所を抜粋する。

  1. 異なる社会では、世間と思想の役割の大きさもそれぞれ異なる。世間が大きく、思想が小さいのが日本である。逆に偉大な思想が生まれる社会は、日本に比べて、よくいえば「世間の役割が小さい」、悪くいえば「世間の出来が悪い」のである。(p.71)
  2. 「ひとりでにそうなった」というのが、つまり日本の思想なのである。(p.83)
  3. 「日本に思想はない」、あるいはむしろ「世間に思想はない」という立派な思想が、その世間にすでに存在するからである。(p.93)
  4. 日本の世間が「俺には思想なんかない」で、ここまでやってこられたについては、もちろん世間という「実情」があったからである。いわゆる「現実」が存在したのである。(途中略)「思想というものがない」社会で「世間という現実」が危うくなれば、すべては崩壊に近づくしかない。(p.102-103)
  5. 「思想なんてものはない」。これは思想におけるゼロに発見である。(p.114)
  6. 日本の思想を考えるなら、「書かれない思想」について書くしかない。(p.142)
一見、藤原正彦の『国家の品格』的(愛国的)な印象を受けるかもしれないが(Kalafは途中までしか読んでいない)、そんなことは決してない。日本人の思考回路、判断基準に関する読み物だ。今日の問題の一つの文化的バックグラウンドを示唆しているとも言える(特に引用#4)。

※)ブラジルのアメリカン・スクール育ち。高校時に帰国、その後日本で海洋・水産を専攻。サッカーを狂おしく愛し、ツキノワグマの保護に奔走する。Kalafの元上司。クマはKalafを"トンボ"と呼ぶ。

身震いの"破裂"

少し前に久坂部羊の『破裂』を読んだ。マイアミで出会った眼科医にすすめられた本だ。彼は日本の国立大学の医学博士でもある。Kalafにとって惹き込む"刺激"のある人であった。だから読んだと言うのもある。おそらくKalafの数歳上だろう。

少子高齢化による医療財政の破綻、地域医療、介護、医療ミスと訴訟、マスコミ、白い巨塔(大学病院)、厚労省・・・。 彼曰く、この本に書かれていることは、ほぼ"現実の話"とのこと。

この本を読みながらKalafが考えざるをえなかったこと。日本の社会構造、親の介護、自分が老いた時。自分(達)がどういう問題に直面していて、社会はどうなりえるのか、を認識するだけでも読む価値はある。小説のスリルと、現実の身震いをどうぞ。

FAY-4

窓を開けると潮のにおいが強い。Kalafはとある島で生まれた。その島を思う。"平時"であってもマイアミを生理的に好む理由の一つだ。

一夜明け、少し落ち着いた。フロリダ半島南東部は抜け切った様子。雨は止んだ。ただ、いまだに風が強い。寝室の外にある椰子の木が一晩中鳴っていた。何度か起きた。さすがに風流を通り越している。

今日も在宅勤務。

※天気図は08:00時点のNational Hurricane Center。

Monday 18 August 2008

時が滲む朝

"第三の開国へ 中国人作家の芥川受賞がこじ開ける日本語世界"という面白いエッセイ(ブログ)を読んだ。エッセイの筋立てはこうだ。

「国際化」されなかった日本語
日本語の外側に別の世界を構築する
政治や権力にナイーブなまま翻弄される若者たち
寄る辺なき浮遊感を抱える主人公と作者
グローバル化によって生まれた新しい流離譚

最近Kalafのアドレナリンがopennessに向いていることもあり、極めてタイムリー。北京五輪や日本の社会事情と言った"時節"に乗っただけと書かれようが、とにかく"今"読む価値を感じさせる。

来月、広島の友人にワシントンDCまで持ってきてもらおう。

権力とCheap Safety

最近、日本に対し、苛立ちを通り越しやるせなさを覚えることすらある。これは、自分がブログを書き始め、そして世間のブログを読むようになったことが多分に影響している。

今日、この鬱陶しさのようなものがKalafなりに"すっと落ちる"感覚を得た。

端的には"権力の失墜"による"権力への固執"なのではないか。

長らく日本では、権力に"情報"が集中していた。政府、国会、官公庁、自治体、マスコミ、大学、病院、等である。自由競争原理が働きにくい、"選ばれた"人の世界だ。そして、権力の内側にいる人と外側にいる人の間に存在する"情報の非対称性"が、その権力の拠り所であった。

周知の通り、この"情報の非対称性"がインターネットにより狭まってきている。"非対称性の逆転"すら起きている。つまり権力の拠り所が根本から揺らぎ始めている。主役は幾千もの個人ブログだ。

同時に何が顕著に起きているか。"権力への固執"だ。"官製不況"の実態がより明白になるにつれ、新しい"束縛"が増える。友人はこれを"Cheap Safety"と称した。"既得権益"が強固に、また広範になることはあっても縮小されない背景の説明も同様と思われる。

ペリーが来て、マッカサーが来た。"GoogleのDemocracy"は今日の"パラダイム鎖国(※)"にとって"Third GAIATSU"になるのであろうか。あるいは"First NAIATSU"として機能するのであろうか。そう期待したい。パラダイム鎖国がGoogleのDemocracyの反動として発動されたにせよ、だ。

※要旨はここを参照されたい。

FAY-3

オフィスに着くと、自宅勤務をしても良い旨の連絡が午前中の内に出された。昼過ぎのオフィスには人影もまばら。Kalafも備蓄を進めるため、仕事を切り上げスーパーに向かう。すると・・・。

水がほとんど残っていない!多少は予想していたものの、ここまでとは・・・。

Kalafの今日の備蓄。冷蔵庫にもまだ幾分かあったので、これだけの補充で何とかなると根拠もなく思い込む。楽観的。

さて、Fayの続報。

National Hurricane Centerの予報によると、明日にもHurricaneに発達するとのこと。地域によっては既にHurricane Warning(ハリケーン警報)が出された。

いまだに不謹慎なうきうき感があるものの、それでもやはり平穏が良いな・・・。

※天気図は14:00時点のNational Hurricane Center。

FAY-2

外の椰子の木があまりにもざわめくので、いつもより早く目が覚めた。風が強い。窓を開けると、気温が少し低い。どうやらFayがフロリダ半島に近づいているようだ。まだ、Tropical Storm(熱帯性低気圧)で"Hurricane"にはなっていない。

天気予報は、明日未明からフロリダ半島を通過することを伝える(※)。マイアミはすれすれで外れそうだとのこと。

海沿いにあるKalafの住まいは、Hurricaneの場合は退避勧告が出される。風があまりにも気持ち悪いので、起きてすぐ、バルコニーのテーブルと椅子を室内に移動した。仕事後は、水と食料の備蓄を行う。

外の様子と天気予報を見ると、"経験してみたい"などと悠長なことは言っていられそうにない。

※天気図は今朝08:00時点のNational Hurricane Center

Sunday 17 August 2008

NHKと日本の閉鎖性

NHKのサイトで北京五輪の動画を見ようとしたが、アクセスできない。こう記載されている。

"動画は、IPアドレスから日本国内と判別できる方にしかご覧いただけません。"

"NHKのホームページにある北京オリンピックの動画は、契約上、日本国内にしか提供できません。そのため特殊な技術を使って日本国内にだけ動画を提供する方法をとっています。"

信じられるだろうか。"国際ニュース・メディア"を標榜していたのでは?腹立たしさを通り越し、悲しいショックを覚える。NHKがこうだ。結局、日本の開国度合いはこの程度なのだろう。

"契約"?何が本質的に大事なのか・・・。

※これは、YouTubeで見られるから良い、YouTubeで見れば良い、という問題ではない。

Saturday 16 August 2008

FAY

昨日だが、マイアミ領事館からメールが届いた。名前は"Fay"。怪しい渦巻きだ。Kalafのマイアミ到着以来、初。実は少しだけ体験してみたい気もしているが、話を聞くとどうやら本当に心の底から悪夢らしい。

フロリダ上陸も困るが、カリブ海で暴れるのも、カリブ海に留まるのも困る。来週の今頃はジャマイカにいる!

(以下、領事館からのメールを抜粋)

マイアミ日本国総領事館からのお知らせ
カリブ海の低気圧について(8月15日午後2時現在)

15日(金)の当地報道及びナショナル・ハリケーン・センターの予報によると、カリブ海を西に移動している低気圧は、プエルトリコに大雨と強風をもたらした後、ヒスパニョーラ島に上陸したため、未だ熱帯性低気圧(Tropical Depression)に発達してはいないものの、少しずつ形が形成されており、2日以内に熱帯性低気圧に発達する可能性があるとしております。

また、報道によれば、今後、進路を北に変えることが予想され、来週にはフロリダ半島を縦断する可能性もあるとのことです。

通常、熱帯性低気圧は海上に出た場合、急激に発達する傾向があることから、上記報道の進路を辿った場合、熱帯性暴風(Tropical Storm)やハリケーンに発達し、フロリダ半島に上陸する可能性も排除できません。在留邦人の皆様におかれましては、この低気圧の動向に注意されるとともに、フロリダ半島に上陸した場合に備え、十分な準備をされるようお勧め致します。

熱帯性暴風雨の進路等に関してはナショナル・ハリケーン・センターのホームページ、また、ハリケーン対策に関しては、当館のホームページ掲載に掲載されております「ハリケーン対策をご参照下さい。

(注)午後4時半の時点で、熱帯性低気圧(Tropical Storm Fay)になりました。

Ballpark with Boss

Kalafのボス(コロンビア系アメリカ人)は、普段はマイアミではなくNorth Carolinaにいる。昨日、そのボスと半期に一度のPerformance Reviewを終え、"地元"Florida MarlinsのBallparkに行った。

マイアミに来てすぐ、このスケジュールを決めた。ボス自身が野球好きということもあるのだが、Kalafのことを思ってくれたのだろう。Chicago Cubs福留孝介(※)が丁度マイアミに来る日を見つけて誘ってくれたのだ。ボスは優しい。

かなりの熱狂振り(マイアミ出身)を隠すこともなく、声援や野次を張り上げるボス。Kalafにチームや選手の説明をしてくれるボス。一緒にホット・ドッグを食べ、ビールを飲む。

上司と部下が無理なくコミュニケーションを深めることはなかなか簡単なことではない。これはアメリカでも同じだと感じる。

Kalafはボスに恵まれた。何より話を受け入れやすい。そして話をしやすい。

英語では、"部下 works for 上司."という表現を使う。"部下は上司のために働く"が直訳だ。アメリカに来る前からもこの表現は聞いたことがあったが、聞くたびに違和感を覚えた。上下関係を強調するこのフレーズへの拒否感に他ならない。渡米時にも、何度かボスから"Kalaf works for me."と紹介され、その度に"I just work with you."と思っていた。Kalafはrespectの存在しない上下関係を好まないのだ。強調されていると感じるとなおさら首を傾げたくなる。

ところが、しばらくする内に、"I work for him."と素直に思えるようになった。"I want to work for him."とさえ感じるようになった。どうしてか。

Kalafが結果を出す。それはボスの功績である。

当たり前のこの構造を極めて前向きにとらえるようになり、"ボスの功績のためにしっかり結果を出そう"と思い始めたのだ。Kalafのボスは、部下をそういう気持ちにさせる性格なのだろう。しかも、ボスはこのことを決して意識していない。言葉をあてるのであれば、"誠実"と"真っ直ぐ"がしっくりくる。誠実で真っ直ぐだから、Kalafも素直になる。

部下の隣でも、そのままファンになる。野球を観戦するという共感も手伝い、ボスとの距離はよりシンプルになった。

※)残念ながら、この日は欠場・・・。ただ、(他の日本人選手は別のリーグであるため)福留がマイアミに来なければ、ボスと"野球に行こう"という話はしても、こうして実際にスケジュールはしなかったかもしれない。

Friday 15 August 2008

8/15

"この日が終戦記念日ではなく敗戦記念日だったら、その後の日本はどうなっていたのだろうか"と毎年思う。

もう少し謙虚になっていたのか、あるいはもう少し卑屈になっていたのか・・・。

Interpretation

"the POWER of WE"

昨日、これを訳してほしいと頼まれた。社内メッセージか対外プロモーションかは分からないが、広告代理店が日系企業に売り込むとのことだ。日本語(漢字)ブームに乗るというより、日系企業が相手であり、英語に添えて載せるらしい。

これは難しい。まず何より英文が短くかつ単独で登場するため、前後の関係性がない。意訳しにくい。そして、文章ではなく名詞の形態である。日本語では名詞だけでメッセージを表現することは少ないように感じる。

それでも、"一生懸命"搾り出そうとすると、幾つかのアイディアに思い至る。ただ、どれもぱっとしない。センスがない。日本語にすると、左手の拳を腰にあて、右手の拳を突き上げるような、どことなく野暮ったいイメージになる。まるで運動会の呼び掛けや学級の標語として叫ぶかのように響く。
  • 私たちの力
  • 私たちのチカラ
  • 私たちのCHIKARA
  • チカラ
  • CHIKARA、もしくはchikara

これらをpresent(アクセントはプレ【ゼ】ント)した上で、"これは英語だからメッセージになるが、日本語だとそのニュアンスは変わるし、うまく伝わらないと思う"と回答したわけだが・・・。

今朝・・・、"私たちのチカラ"がサンプルに載せられて届いた・・・。

"Oh dear...!"

Thursday 14 August 2008

Wow's in Washington D.C.

先週末、先日マイアミに来た友人と、そしてGamalと、今度はWashington D.C.で再会した。Washington D.C.は5月以来だ。

まずは5月に続いて、今回もSmithsonianスミソニアン)巡り。

驚くほど素晴らしかったのは国立自然史博物館。特に哺乳類と恐竜の展示は一つひとつに声を上げたくなるほど。テレビや図鑑、動物園でしか見たことのない動物の剥製や恐竜の骨格標本の数々。実物が自然の中で生きているようにすら感じられる。とにかく"Wow!"の連続。想像力が膨らむ空間。

続いて、幾つかWashington D.C.ならではと思われる写真。

Arlington National Cemetery、戦没者のお墓。広大。つまりアメリカは戦争をし過ぎだ(半分本気)。

地下鉄のホームにあった軍事関係の広告。この駅がPentagon(国防総省)に近いせいもあるのか、この他にも同様の広告が幾つかあった。ここが"The CAPITAL"とは言え、軍事産業の広告が街中に普通にある感覚はやはり日本とは大違いだ。ヨーロッパでも見た記憶がない。(何と、PentagonのURLは".mil"!初めて見た・・・。)

"emotional crisis"に苦しむveterans(退役軍人)のためのヘルプ・コール。これは地下鉄の車内広告(広告ではないか・・・)。National Suicide Prevention Lifeline(すごい名前!)というDepartment of Health & Human Servicesの下部組織が運営しているようだ。また、よく見てみるとDepartment of Veterans Affairsともある。"退役軍人関係省"か・・・。アメリカの生々しさが伝わるポスターだ。

Washington D.C.近郊のGeorgetownで発見したベネトンのプロモーション(?)。ベネトンはやはりセンセーショナルだ。このプロモーションは他のベネトンでも展開されているのだろうか・・・。香港あたりで密かにあったら、と当分は起こり得ないであろう期待をする。





最後におまけ。Washington D.C.から30分弱のところにあるAlexandriaに出かけた。そこでのティー・タイム。マイアミでは見つけるのが難しいようなlovely & sweet spot。友人とGamalと、3人でよく喋りよく笑った。

これら以外にも、中華街やfancyなレストランでの食事、そしてWolf Trap(野外コンサート)とWashington D.C.と近郊をローカルに満喫。Gamalのアレンジに感謝。

Tuesday 12 August 2008

北京五輪開会式

友人は、8.8.8.8.8を"社会主義と資本主義の、それぞれのエッセンスが爆発的に発揮されている"開会式と表現した。見事な言い回しだ。

以下、各選手団の入場を見ていて面白いと思ったこと(順不同)。ただし、部分的にしか見ていない。テレビ局はNBC

  • 日本は、日本とそして中国のミニ国旗を振りながら入場。台湾も同様。幾つもの解釈ができる光景。
  • イラクがスタジアムに入ってくると、ブッシュ米大統領が映された。皮肉なのか・・・。
  • イラクに続いてイラン。イランへの声援/歓声がイラクへのそれに比べてwelcomingではないことをアナウンサーが指摘する。明らかな皮肉だ。
  • 反"国際社会的"とされるスーダンやベネズエラへは政治・経済状況の説明と、体制への批判的なコメント。婉曲ながらも意図は率直。
  • 選手団が男性だけのサウジ・アラビア。女性の"自由が抑制されている"とのコメント。事実を超えた"見解"が述べられる。
  • 台湾は分かるが、香港も独立した選手団として入場。"いつかはウルグイやチベットも?"とふと思う。
  • グアムとして独立して入場。"半"独立か・・・。
  • お国柄なのか、顔に汗を流しながらも、サルコジ仏大統領はジャケットを脱がない。アナウンサーもからかい半分に言及。
  • ジャケットを脱いでいたブッシュ米大統領も、アメリカが入場するとジャケットを着て立ち上がる。フォーマルはジャケット着用。
  • なお、福田首相はシャツのままかつ座ったまま日本選手団に手を振っていた。
  • ロシアからはプーチン"首相"。ロシア"首脳"はいまだに彼か・・・。
おそらく日本では、単に"スポーツ面"あるいは"芸能面"としてアナウンサーはコメントする。一方で、アメリカ(少なくともNBC)は"社会・政治面"としてのアプローチが多分に含まれる。行き過ぎるとプロパガンダにもなり得るが、それでもアメリカ式をKalafは刺激に感じた。

Monday 11 August 2008

虫の音

いつの間にか、虫の鳴き声が聞こえるようになった。初めてこのことに気がついたのは確か先週だったと思うが、その時はまだ音は"散在"していただけだった。今夜は、バルコニーに出ると、もう180度の広域から聞こえる。夜の蒸し暑さも随分落ち着いた気がする。

季節の変わり目をどこで感じるか。これは考えてみると少し面白い。雨が降っている境目が曖昧であるように、"いつの間にか"季節の提供者が変化する。最初は気がつかない。次は無意識に察知する、ただし記憶には強く残らない。そして、本当に"いつの間にか"、そこに既にいる提供者をようやく認知する。

その内、彼らの声が重層をなして響き始めるのであろうか。"マイアミ"で虫の音が届けられるだなんて、思いもしなかった。

Friday 8 August 2008

特殊な国と余裕

Kalafは田原総一郎の認識に近い感覚を持っている。もちろんKalafも中国を"特殊な国"だととらえているが、その特殊性をネガティブな側面ばかりに向けることは賢明ではないと考える。今日の日本はやや度が過ぎるのではないか。ロシアの方がよっぽど付き合いにくい"特殊な国"だろう。

少し前であれば政府への不信任と靖国、今はBSEと独島/竹島のように、韓国の国内問題の憤りが反日的なイシューに向けられることはよくある。同様に、日本も自らの存在感が低下していくことへの漠然とした不安を中国に鬱憤として転化する。そして、これらの"操作"はする側とされる側がそれぞれに意識的か無意識的かを問わず、日常的に行われている。

さて、Kalafには、日本が韓国の大衆誘導とその反応に対し決して過剰には反応していないように映る。他方、日本の中国への反応や意識は偏っていたり誇張されているように見える。

この違いはどこから来るのか。"余裕"だ。韓国に対しては余裕がある一方、隣国のRising Powerである中国に対しては余裕がない。人間関係でもそうだが、余裕がないと余裕がある方にどうしても引っ張られる。

前世紀を振り返れば、経済的にもそして政治的にもオリンピックが開催国にとって大きなターニング・ポイントであったことは疑いようがない。それぞれに約20年の間隔。"日本と韓国は既に経た道、そして今度は中国の番"程度の余裕を持ち得ないものだろうか。

今後、中国が仮に"まっとうな大国"ではなく、"特殊な大国"になっていくとしても、それは従来通りのパワー・ポリティクスに過ぎず、日本が狡猾さを含めた"まっとうな対応"をするだけだと考える。

Thursday 7 August 2008

Three Colors: Blue

Three Colors: Blue, 1993
トリコロール/青の愛

フランス映画は心理描写に長けていると聞くことがあるが、よく分からないことが多い。淡白に暗いだけのように思う。フランス映画にこういう感想を持つことが少なくない。この映画もそうだった。

起伏が陰にばかりで陽に振れることが少ない。見えない虹を探しているようで何も見えない。メッセージを結局探しそびれた。お薦め度は1.5/5。

Wednesday 6 August 2008

48倍

さて、これは何の写真でしょう?

Kalafの左手首だ。内側(写真下部)が腫れているのがお分かりになると思う。腕にも腫れがもう一つある。

蚊に刺された。そしてここまで腫れた。長い間蚊に血を許していなくても、マイアミの蚊に刺されるとこうなる。Kalafは日本で刺されても特に何ともなかったのだが、マイアミではこうだ。

では、何が"48倍"かと言うと、それは腫れている部位の容積のことだ。日本で刺された場合、よっぽど油断しなければ大体直径1cm四方であろうが、これは4cm程度はある。そして、高さは何となく3倍くらいはありそうだ。したがって、4 * 4 * 3 = 48。外でランチをしている時に刺されたので、蚊がこの世の春をそこまで謳歌したわけでもなかろうに・・・。

痒さも強く、熱を帯びてさえいる。いつもと同じだ。

ムヒは素晴らしい。よく効く。掻きこわしの可能性とムヒの所持頻度は反比例の関係にある。

Tuesday 5 August 2008

Brothers in Holland

写真のように透明で、きらきらとした二人。Costa Ricaで出会ったオランダの兄弟から便りが届いた。Kalafが連絡先を教えただけで彼らのものを知らなく、心待ちにしていた。本当に嬉しい。

左が弟のTimo、右が兄のJesper。

とにかくかわいい。どことなくKalafと弟のようなところがまたたまらなく愛おしい。Kalafの自慢の友だち、そして自慢の兄弟だ。

旅は出会いがある。その出会いは人を豊かにする。

Sunday 3 August 2008

映画の効能

Netflixを始めてからの2週間で6本の映画を観た。一つの映画を観ると約2時間、それなりの時間をかけているわけで、その効能について意識していたところ、映画の大きな効能に気がついた。

感性の括約筋を鍛えるや人の機微や社会の出来事に敏感になる等、映画の効能は幾つかある。これらはこれまでも認識していたものだ。ところが、"Once"を観終わったとき、もう一つの、もっと別の次元の、そして一番大きいのではないかと思う効能を発見した。

心から"好き"だと思える対象のストックが多ければ多いほど、人は幸せに豊かになれるとKalafは気がついた。そして、映画がこの対象になりうることを実感した。しかも、映画はその対象を提供するものとして比較的高い確率を持っている。

映画のシーンやストーリー、台詞を思い出すだけで、その時の興奮や喜び、嬉しさや驚きが戻ってくる。そして戻ってくる感情の種類は幾らでもある。対象により全てではないが、再生可能な場合が少なくないから感情を再生成できる。

音楽、絵、本、写真、食べ物、洋服、家具、車・・・、対象は映画でなくても良いはずだ。それが友人や恋人、家族のように人の場合も当然あるだろう。趣味やスポーツ、旅もそうだろう。また抽象的な感覚も当てはまる。これらにたった一つの共通点は"好き"と言い切れること。

"Once"をここまで"好き"にならなければ、この"線"を発見するには至らなかったと思う。Kalaf自身も大袈裟だとは思いながらも、"Once"にありがとうと言いたい。大発見だ。

Saturday 2 August 2008

Once

Once, 2007
邦題: ONCE ダブリンの街角で

"すごく良い"映画。映画に"chemistry"がある。始まりと終わりでは、主人公の生活に半歩くらいの変化しかない。二人の恋も半歩程度しか踏み出さない。ただ、その半歩は彼らの"日常"にとっては意味のある半歩で、その半歩が進むまでの物語が優しく切ない音楽を通して綴られる。主人公の二人が、作詞作曲と歌、演奏も実際にしているから驚く。

◇Film's Message through Kalaf
- Once. ("一度"や"すぐに"というこのメッセージが幾通りにも伝わってくる。)

ほんのり甘くて、でも切なくて、そしてきらきらとした強さがあって・・・。過去への想いをどこかで抱きしめながらも、少し先の未来を明るくできるように今を進む・・・。ここまで好きになった恋愛映画は久しぶり。観終わると、さわやかさ、切なさ、心地良さ・・・、そんなパステル・カラーに包まれて脱力した(観れば分かります)。

ここにあるピアノにもっと向き合おうと思った。お薦め度は、5/5(!)。

Friday 1 August 2008

Sense and Sensibility

Sense and Sensibility, 1995
邦題: いつか晴れた日に

19世紀のイギリスを舞台にしたJane Austen原作の恋物語。姉妹それぞれの恋がそれぞれに甘ったるい(too sweet)"・・・。ただし、ともにさわやか(上品さと節操がある)。イギリス英語に特有な非直接的な言い回しが濃厚。これはイギリス英語を好まない場合はしんどい。

◇Film's Messages through Kalaf
- Promise me you'll not change it. (相手の素晴らしさを称えて。)
- For there is nothing lost, that maybe found if sought. (彼に見向きもしなかった彼女を受け入れる彼。シェークスピアからの抜粋。)
- I've come here with no expectations, only to confess now that I am liberty to do so that my heart is and always will be yours. (Hugh GrantからEmma Thompsonへ。)

イギリスの田舎(countryside)は本当に美しいと思う。丘、木々、花、お城(お屋敷)・・・。加えて、この映画はイギリス上流階級のエチケットがきれいに表現される。アメリカ映画に比べて、イギリス映画をreservedに思うことが少なくないが、この特徴をKalafは好きだ。なお、この映画は恋物語として有名。お薦め度は、2.5/5。