Friday 31 October 2008

指紋採取

久しぶりにアメリカを離れてマイアミに戻ってきたら、これまでは親指だけであった指紋採取が10本全ての指になっていた。抵抗感が格段に増した。アメリカの"Homeland Security"意識は、強迫観念に近い。

そう言えば、先日ワシントンで再会した先輩が、アメリカ入国時の指紋採取で"wanted"のものと一致(あるいは近似)したらしく別室で聴取を受けたと言っていた。おそらく、その時は親指だけだったに違いない・・・。

Thursday 30 October 2008

Thumbs up!

ところで、今、出張でSao Pauloに来ている。ブラジルは今回で三度目だが、確信したことがある。

ブラジル人はよく親指を立てる(もちろん上に向けて)。

オフィス、レストラン、タクシー、ホテル、通関・・・、幾度となく。最初はどことなく気恥ずかしく感じたものだが、今は爽快な気分になる。試しにやってみよう。これには不思議な力がある。間違いなく微笑む自分に気が付くから。

Newspaper Endorsements

打ち上げ花火は来週の火曜日(11/4)、大統領選挙もいよいよ大詰め。各紙が支持する(endorse)候補者を明確にし始めた。その支持をまとめたサイトがここ

The Washington PostThe New York Times英The Financial Timesも含め、日本でもよく聞かれる新聞はObama支持が多い。英The EconomistもObama支持、次号(11/1号)で"It's time"と特集を組む。

"言論の自由"。その自由の度合いと質に驚きさえする。日本は"言論の自由"に気が付かない自由がある。

Friday 24 October 2008

10月24日

今日は、両親にありったけの感謝をする日。

"お父さん、ありがとう。お母さん、ありがとう。Kalafは元気です。"

"希望"を持ち続け、新しい10年を歩もうと思います。

Monday 20 October 2008

Miami Dolphins with Friend

「友達」にまで実る出会いはなかなか難しい。たまたまデスクが近所で、ランチをほぼ毎日一緒に食べ、週二回バスケットをし、仕事のみならず政治や経済、時には恋やgirlsの話をし、映画に行き、深夜のdanceに付き合い・・・。

そんな「友達」である同僚とDolphinsを観に行った。マイアミにあるアメリカン・フットボールのチームだ。先日のワシントンでの歓喜を彼に話したら、今度は「地元」を応援しに行こうと誘われた。

不思議なものだ。二人で淡々とゲームを観る。他の大勢の観客と一緒に立ったり、手を叩いたり、声を上げたりする以外は、お互い特に多くは喋らない。ゲームが終わればそのまま帰る。

結局、友達という関係は、何となく気が合って、そして何かを継続的に共有する積み重ねそのもので、それだけのことなのかもしれない。シンプルは美しく、同時に難しい。

Saturday 18 October 2008

W.

W., 2008

軽い伝記というか軽いパロディというか、とにかくBush現大統領が主人公の映画が公開された。同僚と初日に観に行った。

基本的には皮肉に満ちているのだが、愛情が感じられるとも言える。CNNに出演したOliver Stone監督によると、"great fantasy"だそうだ。

共和党陣営にとっては決して好意的ではない映画の、大統領選挙(11/4)まで三週間を切ったこの時点での公開。選挙権を持つ同僚は、その自由を"American beauty"だと言った。そうなのだと思う。自由への敬意も込め、お薦め度は3.5/5。

※本映画のオフィシャル・サイトはこちら

In America

In America, 2002
イン・アメリカ/三つの小さな願いごと

アイルランドからNew Yorkに渡ってきた家族の苦労を楽観的に、そして二人の子供が振りまく日々の幸せを柔らかく描く。子供の愛くるしさとスクリーンのきれいな色合いがファンタジーのように感じられる映画。そもそも子供は誰もがファンタジーなのかもしれない。

ストーリーはいささか突飛感がある。お薦め度は3/5。

Born Into Brothels

Born Into Brothels, 2004
Born Into Brothels

カルカッタの赤線街(娼婦街)の子供達に写真を教えながら、彼らが教育を受けられるように奔走する女性とその子供達のドキュメンタリー。

親と社会の退廃に子供は無力だ、無力過ぎる。その中にあって、彼らの眼差しがどれだけ素敵なことか。そして"There is nothing called "hope" in my future."と言った子供にどれだけの可能性が宿っていることか。

貧困、退廃、停滞、混沌・・・、そして子供の可能性。世界に広く存在する。お薦め度は3.5/5。

The Magdalene Sisters

The Magdalene Sisters, 2002
マグダレンの祈り

カトリックの教義のもと、(性)倫理的な"罪"を犯した女性が収容される"修道院(Magdalene Asylums)"。中世のような話が実際に数十年前までアイルランドに存在した。驚くことに最後に閉鎖されたのは1996年という。

北アイルランドの独立運動があそこまで過激化した背景の一つも宗教。また、イスラム国家で女性の自由が(西側諸国から見て)束縛されている社会とも原理構造は近い。Magdaleneの出来事を知らなかったことも含め、お薦め度は3/5。

The Last King of Scotland

The Last King of Scotland, 2006
ラストキング・オブ・スコットランド

もう少し社会的な側面の強い映画だと思っていたのだが、これはほぼアクション映画だ。

思いがけずウガンダ大統領(暴君)の専属医になり、側近のようにさえ可愛がられるスコットランド人青年が、その世界に染まり、そして脱出するまでを描く。70年代の実話らしい。

一括りに一般化すべきではないが、映画の例えば5%程度が実際の世界だと仮定しても、アフリカはネガティブな意味で遠い大地だと感じる。お薦め度は2.5/5。

Sunday 12 October 2008

友からの書簡

以前、「日本の純度」と題し京都の友に書簡を送った。その友から返信([淡水録] vol.12 不純な日本人)が届いた。

これが実にトムらしい。

おそらく、Kalafがトムに書いたこととトムがKalafに書いたことは、それぞれ相手の核心にどこかしら触れているに違いない。ただ、その核心をそれぞれが自覚し切れていないため、より正確に言い表せば、実体験として相手ほど持ってはいないため、うまく認識できず、結果応えられないのではないか。

トムは京都という貴重な町に生まれ育ち、そして今またその京都に戻った。Kalafは自分の存在に意識的になり始めた頃から時間とお金さえあれば飛行機に乗った。

この事実は、どの外界を興味の対象とするかにもよるが、多分にどの「近界」をフィルターとするかに影響されているはずだ。良し悪しの問題では決してなく、個人が比較の対象とするフィルターが、あるいは個人を包み込むフィルターが、やはり京都のトムには強く作用しているからゆえだと思う。

この意味で、何の変哲もない首都圏の郊外を成長の環境としたKalafには、生活の中で身近にフィルターを感じることもなく、またトムほどの感度もなく、いつの間にか飛行機の出発地である日本とその着陸地である海外がフィルターとして形成されてきたのであろう。

もう一つ、トムの金子光春の引用からもよく分かる、トムが以前に言った「対象と自分の一対一の関係」について考えることがある。あの話は、Kalafには大変印象的であった。

一方で、Kalafは人一倍、「関係性が広がる可能性」に関心が強いことを自覚している。建築家の安藤忠雄が言った「創造性は、模倣の新しい関係性の中のみに存在する」という言葉をその説明として引用したい。

この「フィルター」と「関係性」という切り口で、冒頭に書いた自覚し切れない核心のことを考えると、それなりの説明は成立するのではないだろうか。

次は「マイアミ」についてか・・・。いや、そもそも「マイアミ」についてだったか・・・。おそらくマイアミについて書くことに追い風が吹かないのは、ここが途中経由地であることが深淵だからなのだと思う。

同じ現象、つまりマイアミを通してアメリカを見ようとする態度をKalafは自覚しており、ただし、マイアミの特殊性が、そしてあらゆる意味でのアメリカの広さがそれを可能にしない息苦しさを感じている。マイアミに真摯に向き合っていない息苦しさなのでもあろう。

Saturday 11 October 2008

Kalaf先生

"先生!"

休みの先生に代わって、マイアミ補習校で教えたKalafはそう呼ばれた。何年ぶりだろうか。卒業後のニート時に塾の講師と家庭教師をしていた2002年以来、6年ぶりだ。

"起立、きをつけ、礼!"で朝礼(!)が始まる。前奏が始まり校歌(!)を歌う。校長先生(!)の話があり、数人が一分間スピーチ(!)をする。11月の運動会(!)に向けて、よさこいソーラン(!)の練習をする。

薄まった彼方の記憶が流れ出し、一人で笑みを浮かべるKalaf。何と言ったら良いのだろう。

"幸せ"と表現するとおかしくも聞こえるが、おそらくそれが一番近い。

友達と一緒にいると、彼らは本当に楽しそうで嬉しそうだ。また、ようやく描き始められた画用紙のような彼らの可能性や将来を想うのだろう。その画用紙に幸せを期して見ていたような気がする。

小学校低学年は元気いっぱい、高学年になると少し落ち着いた男の子と女の子、中学生はもう背伸びをし始める・・・。成長の過程が見える。このこともKalafを幸せに包む。それは自分の成長も思い出されるから。

"子は宝"とはよく言ったものだ。

さて、今日は、午前中は中学三年生に、午後は中学二年生に数学を教えた。

どちらのクラスも子供により理解力に多少の差はあったものの"普通に"授業を進められた。"普通に"と書いたのは授業を聞かない、あるいは反抗の見える子供がいることを想像していたということだが、決してそうではなく、"Good boys & girls"に感謝をしたわけだ。きっと生意気盛りに違いないが、その生意気が常であることはなく、かわいく思った。

また、年頃の彼らは、保健体育の授業で習ったとおり、girlsのほうがboysに比べてませていることもよく分かる。服装からしてそうだし、話し方や喋っている内容も全然違う。これは面白いと思った。Kalafが中学生の頃もそうだったのだと思うが、boys本人はその自覚がない一方で、girlsはしっかり認識しているのだから!これも、かわいく思った。

(アメリカ感覚なのか、その年頃のgirlがあまりにもストレートに"また来てください"と言うものだから心底照れてしまう・・・。)

ところで、補習校(※)には大きく分けて、現地に永住した家族の子供と、赴任した家族の子供がいる。前者は、親のどちらかだけ(特に母親)が日本人であることが多い。

興味深いのは、赴任家族の子供のほうが理解力も授業への姿勢も概ね良いことだ。もちろん必ずしも一概には言い切れなく、また永住家族の子供は言葉の問題もあるのだが(彼らの母国語は英語)、日本語で学習する環境を作る親の姿勢が異なるのだと思う。補習校はあまりにも顕著に表れるが、親の教育環境への姿勢という点は日本国内においても根本に違いない。

また、学校でどうしても避けられない理解力の差や、子供個人の意欲の差にどう対応するかは難しい問題であることを身を持って感じた。補習校は形式で言えば塾と同様に任意の機関なのだが、雰囲気は理解力や意欲が千差万別という意味で公立学校に近い。学校(特に公立)におけるクラスの能力編成、教えるべき科目等、まだKalaf自身では答えを出せない。

歳が随分と離れた彼らと接していると、普段は感じないことを感じる。彼らへの投影だ。この投影はかつての自身を懐かしむ意味のそれではなく、彼らの気持ちや考えを分かろうと努める投影と言える。それが意識的だったのかそれとも無意識的だったのかはKalaf自身もよく分からないが、根底にあったのは彼らの気持ちや考えがまだ自覚していない将来への希望なのだと思う。

・・・幾らでも書けそうだ。あれだけ新鮮で自然な空気をいっぱい吸ったのだから。Kalaf先生、愛情たっぷりだ。次は運動会!

※)補習校についてはこちら(Wikipedia)。

Friday 10 October 2008

Let's have lunch and talk about politics.

昨今の金融事情や大統領選挙が近づいていることもあり、同僚と政治や経済の話をする。朝の挨拶や立ち話から、話がその方向に動く。今朝も10/17に公開予定の映画"W"の話から、McCain陣営のネガティブ・キャンペーンや7,000億ドルのレスキュー法案の是非、キューバの共産主義に進んだ。

"Let's have lunch and talk about politics."

暫く盛り上がった会話がこう遮られる。この一言は印象に残った。何というか、爽快かつ刺激的に響いた。

なお、Kalafがこの類いの話をする同僚は、グリーン・カード取得者(選挙権のない永住権)や移民二世なので必ずしもマジョリティとしてのアメリカの姿ではない。そもそも、オフィスには白人系もアフリカ系もいない・・・。

Thursday 9 October 2008

日本(人)受賞者??

"クマ"というあだなの友人がいる(いつかこのクマについては別途書きたい)。"ケモノ"とも呼ばれる(自分でも呼ぶ)。以前の上司だ。ここ数年の間に出会った最も貴重な人の一人だと思う。このクマから興味深いメールが届いた。

クマのメールの要約:
今年のノーベル物理学賞は、アメリカでは「米国人1名と日本人2名が共同受賞」、日本では「日本人3名が受賞(※)」と報道された。これは誰がどう考えても前者が正しい。

Dr. Nambuは、30年以上前に米国籍を取って未だにChicagoをベースに研究している日系アメリカ人だ。また、luciferin単離精製の下村氏も、アメリカに渡ってもう20-30年になる。

朝日のScience Editorがこの点を取り上げ、「日本の大学にいるアジア人が取ったら、日本人はどう騒ぐ、或いは沈黙するのだろうか?」という学界内の皮肉な意見を紹介している。

今年のノーベル賞受賞は、日本人が猫も杓子も喜ぶ機会ではなく、なぜ"ホンモノ"に限って日本を捨てざるを得なかったのかを真剣に反省する機会だと、本気で思う。
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クマのメールで書かれていることに加え、以下の点でも興味深い。

・日本で研究する、***系日本人(例えば日本国籍を取得した中国人やザンビア人)が受賞したらどう反応するのか?

・優秀な人が集まるアメリカと、その人をアメリカ人として受け入れるアメリカ。

※)11/8付けの日経一面にある見出しには「ノーベル章 日本の3氏」と書かれている。

Wednesday 8 October 2008

2nd Presidential Debate

昨日(10/7)行われた2回目の大統領候補者ディベートを見て感じたこと(印象の強かった順):

    1/ アメリカにおけるリーダー
    2/ ObamaとMcCainの器
    3/ メディアと国民

1/ アメリカにおけるリーダー
リーダーの存在意義や価値、必要性が尊重される。リーダーになろうとする人がいる。そして、メディアと国民からの執拗なまでのwatchの中、そのリーダーを選ぶプロセスが用意される。この偉大さ。

2/ ObamaとMcCainの器
9/26の1回目はそうでもなかったが、今回のディベートではそれぞれの"器"がよく現れた。Franklin RooseveltKennedyのように、広くかつ長く尊敬や威厳の対象として引き合いに出される大統領に近い器はObamaだとKalafは判断した。ディベートを見れば感じるはずだ。

3/ メディアと国民
メディアの、賛否の両方を備えた様々な角度からの検証と、明確に支持を提示することも躊躇わない姿勢。そして、watchする国民。これがウェブ上で出来事(ディベートそのものと、メディア側の発信)と同時進行で呼応し合う。コメントが次々に何百も書き込まれ、またウェブ上で世論調査が行われる。例えば、CNNNew York TimesWashington PostWall Street JournalNewsweek・・・、このダイナミズムがテレビ、新聞、雑誌を問わず主要とされるメディアのスタンダードだ。この偉大さ。


ディベートの内容や結果については、ここでは書かない。世界事情に関心のある人、組織や場所を問わずリーダーたろうと思う人は最初から最後まで見て欲しい。Kalafはこのタイミングでアメリカにいることを本当に幸運に感じる。

なお、世論調査についてはここが面白い。

(映像はNew York Timesをすすめる。スクリプトが連動しており理解しやすい。)

Monday 6 October 2008

在外選挙人登録

Kalafの一票は実施が近いと言われる衆議院選挙には間に合わないかもしれない・・・。

在マイアミ総領事館に在外選挙人の登録申し込みに行った際、窓口でそう言われた。在外公館から外務省を経て最後に住んでいた自治体に書類が届き、自治体で確認後、また外務省を経由して戻ってくるため、早くて一箇月、長い場合は三箇月かかることもあるらしい。

(自身の無知と怠慢を棚に上げつつ・・・、)確かに一票を厳密に管理することはmustに違いないが、時間がかかり過ぎだ。かつ最長で三箇月かかることを知っている人がどれだけいるのだろうか。例えば、在留届を出しに行った際に、この説明をすれば済む話だと思う。("国民"はいつでもどこでも勝手だ・・・。)

日本に住んでいれば、選挙が近づけば投票用紙は送られてくる。海外にいるだけで、手続きが必要で、加えてその手続きが済むまでにこれだけの時間がかかる。二十歳以上であれば誰もが有する選挙権は、在留邦人にとってはやや不親切な権利だ。

昨年の参議院選挙の投票率(比例代表)は58.63%、一方の在外選挙投票率(比例代表)は23.5%。この不親切が影響していないとはどうも考えられない。

在外公館(少なくとも在マイアミ総領事館)の窓口は明らかに手持ち無沙汰なのだから(Oops!)、在留届の提出にあわせて、在外公館がこのプロセスを自動的に始めたところで彼らの業務時間が超過することもないだろう。

ところで、これまで衆・参議院の比例代表のみに限定されていたこの制度は、去年の6月から衆議院小選挙区と参議院選挙区にも拡大されたようだ。

なお、海外在留邦人は100万人強(在留届を出した人のみと思われる)。

海外にいる方、手続きはお早めに。

Sunday 5 October 2008

Vice-Presidential Debate

少し前、McCain氏のキャンペーンは、Paris HiltonとBritney Spearsを引き合いに出し"He is the biggest celebrity in the world."とObama氏をこき下ろしたが、今やMcCain氏のRunnig Mateである共和党副大統領候補のSarah Palin氏は全米で最も注目を集めるトップ・スターだ。

Obama vs McCainの討論会よりも注目されていたと言えるそのPalin氏と、民主党のJoe Biden氏による副大統領候補の討論会が先週木曜日に行われた。この討論会の内容や世論の反応は大手メディア(例えばNew York Times)に譲るとして、"Saturday Night Live(SNL)"というパロディ番組を紹介したい。

これはもちろんパロディそのものなのだが、誇張されている分、候補者の特徴がとらえられていて面白い。有権者(視聴者)が候補者のどこに反応したのかがよく表れている。このSNLはジョークとして流行っている以外に、候補者へのイメージを把握できる材料、また"すり込み"という見えない影響もあるはずだ。(これまで、Obama氏もMcCain氏もHillary氏も出演している。)

討論会直後の世論調査は、概ね55対45でBiden氏の勝ち。討論の内容そのものに比べ差が小さいのは、"Palin善戦"という評価。そう、同じ土俵ではないことが周知の前提。

それにしてもアメリカのメディアは手加減がないと言うか、容赦がない。素っ裸にもするし、好きなように着色もする。アメリカで有名になる、大物になることはまさに身を削ることなのだ。これがアメリカの政治意識を支えていることも事実。

なお、アメリカ副大統領の最大の責務は、大統領が死んだ場合に大統領に就任すること。もちろんこのPalin氏も例外ではない。

(一回目のSNL版Obama vs McCainはこちら。)

Thursday 2 October 2008

「させていただく」

麻生首相は所信表明演説で「就任させていただいた」と、プロ野球の清原さんは引退セレモニーで「引退させていただく」と言った。

この表現がここまで頻繁に用いられるようになったのは、そこまで前の話ではない。十年も経っていないはずだ。

さて、「させていただく」という表現には、聞き手や読み手へのどのような期待が込められているのだろうか。文法上は謙譲語だ。つまり日本の美徳の表れなのだろうか。

もちろん、結局は「皆がそう言うから」が答えなのだとは思う。これだけ当たり前に使われれば、そう言わない方が「差し支える」可能性があるからだ。

この表現が厄介なのは、行為の主体が曖昧にされてしまうことだ。迎合的ですらあり、合議的で、馴れ合いの関係性が強調される。Kalafは好まない。ポジティブに解釈すれば、「共感のアプローチ」とも言えるのかも知れないが、それでも好まない。

同じ文脈でもう一つの似た表現として「なる」がある。これらの表現から、日本語が主体を明確にしないようにしないように変わってきていることを認識する。

ところで、この表現は英訳しにくい。愛国的に言えば、これも「日本の美徳だから」か・・・。

Wednesday 1 October 2008

英語で独り言

アメリカで生活しているからと言って、日々実感できるほど英語が上達するわけではない。新しい単語や言い回しを覚えることはよくあるが、実際のところは、これまで培った英語力を維持している程度なのではないかと感じる。そして、言うまでもなく、これは上達の努力を特段していないからに尽きる。

そこで、"独り言を英語で言う"ように心がけている。"独り言"とは、口に出すだけではなく頭の中で話すことも含む。意識的になる必要はあるが、これは無理なく続けられる。

実感しやすい例としては、電話番号を英語で言う。あるいは自分の名前をアルファベットの綴りで読む。誰もが英語で数字やアルファベットそのものを言うことはできるのだが、これが実は結構難しい。目から入ってきた情報あるいは頭にある情報を英語で出力することに慣れていないためだ。

そう、これは英語で情報(言葉)を出力するポンプを鍛える訓練なのだ。是非お試しあれ。効果的だ。