Tuesday 31 March 2009

Phillips Collection & NHL

Washington DCにあるThe Phillips Collectionは実に洗練された美術館だ。アメリカで初めてのModern Artの美術館らしい。

作品群としての趣味はもちろん、建物とインテリアも気に入った。これが個人のコレクションから始まったのだから驚く。桁外れだ。












母の好きなMatisseとGamalの好きなChagall。


Kalafはこういうインテリアが好きだ。







続いて、遂にNHL(アイスホッケー)を観に行った。野球、バスケットボール、フットボールそしてアイスホッケーがアメリカの四大プロスポーツと言われる。

これまでほとんど馴染みがなかったが、これも面白いスポーツだ。とにかく"往来"が激しく、速く、そしてコンタクトが激しい。噂どおり、乱闘もある。

アメリカで実際にプロスポーツを観てスポーツとお国柄の"ミラー関係"を強く感じるのだが、このアイスホッケーも例にもれない。アメリカを肌で感じたければ、スポーツは良い手段に違いない。

Tuesday 24 March 2009

5-3!!!

素晴らしい試合だった。本当に素晴らしかった。

投手と守備が興奮させた試合。最後まで切れなかった力と緊張の拮抗は自分が運動したかのような疲労感さえ残した。今夜の試合は長く覚えていると思う。Congratulations JAPAN!

ここまで書いて、9回裏(確か2アウト)にダルビッシュが追いつかれる・・・。

10回表のめぐり合わせ。スーパー・スターとはこういうものなのか。イチロー、8球目を会心のセンター前で5-3。どういう精神力なのだろうか。常人ではない。信じられない。深夜一時過ぎにも関わらず絶叫。

最後はダルビッシュ。10回裏は落ち着いていた。彼は22歳だ。

勝負を分けるのは「個」の力。その力を持ち、発揮するのが「プロ」。JAPANはbig namesだけではなく、一人ひとりがプロの「仕事」をした。

ライブで観られて幸せ者だ。気合と精神力を与えられた。素晴らしい試合だった。本当に素晴らしかった。今夜の試合は長く覚えていると思う。Congratulations JAPAN!

(それにしても韓国の応援はものすごい。仲良くいたいものです。)

Sunday 22 March 2009

マクドナルドと"侍"ジャパン

World Baseball Classicを観ている。日本が決勝に行きそうだ。イチローは相変わらず調子が悪い。

さて、日本のヘルメットには"マクドナルド"の広告が入っている。国際大会で、アメリカ企業の広告を日本のナショナル・チームが掲げている。資本主義、globalisationと言えばそれまでではあるが、何とも落ち着かない。

日本市場向けの広告と考えれば不思議ではないのかもしれない。日本では、マクドナルドをアメリカ企業と認識している人も実は多くはないのかもしれない(そんなことはないと思うのだが・・・)。マクドナルドの景気が良いこともあろう。あるいは、"日米同盟の象徴"であれば説明がつく(!)。

アメリカ人はどう思うのだろうかと考えてみると、①気が付かない、②"Good Job McDonald's!"、③"Why Japan?"、④何も思わない、と言ったところか。④が一番多いような気がする。例えば、トヨタが逆の立場だったら、Kalafは②だろうと思う。

この大会に参加している韓国や中国は、首を傾げたり、少し冷笑さえするかもしれない。

"興行"とは言え国際大会、もう少し体裁を意識しましょうよ、プチ外交なのだから・・・。

なお、日本のユニフォームには、袖に"Asahi"の広告がもう一つある。

Tuesday 17 March 2009

期待と刺激

友人から喜ばしい知らせが届いた。新しいpathを自分で切り拓いたという。

こうして友人の将来に期待が膨らむことは嬉しい。そしてそれは大いなる刺激でもある。

おめでとうとありがとう。

Sunday 8 March 2009

帰国 * 2

日本に戻る前のエントリーで「帰国」と書いたが、日本を離れる時も「帰国」なのだと感じたその認識が自分でも不思議だった。成田から日暮里に向かうスカイライナーの中では、自分が日本人である様を「陸に用事があって一寸出かけた魚が、陸の生活に慣れ始めた頃に水中に戻り、また何事もなかったかのように泳ぎ始める」と喩え、一人でにやにやと笑っていた。

そのスカイライナーの中での感覚があまりにも新鮮だったので、ノートを取った。随分と不思議な新鮮さだったのだと思う。

・「日本を離れていた一年がどのくらい長かったのか」を実感したのは、窓の外を過ぎてゆく他愛もない光景に抱く「愛おしさ」に気がついた時。寺院や梅はあまりにもビンゴ、自転車や密集する住宅、ホームで電車を待つ人や煙突にさえその感覚が生じたのだから自分でもおかしい。大袈裟に言えば愛国心、そしてそれは日常への「appreciation」。

・このappreciationが「これが日本」と受け入れる「寛容さ」なのだとすれば、一年の間に新しい価値観が形成されたと言える。これまで何度も海外に行っては日本に帰ってきたのだが、この日本への寛容さは全く新しいものだ。寛容は「余裕」を生む。今の自分には日本を見る時に余裕がある気がする。

・日本を表す言葉の一つは、やはり「秩序」に違いない。二種類の秩序。それは、秩序立った秩序と雑然になり過ぎない秩序。例えば、前者は新幹線の発着であり、後者は駅前にとめられた無数の自転車。

・日本を好きになる外国人は、きっとどこかでこの「秩序」にひかれるのではないか。それは理路整然としたラッシュ時の人の動線から小箱の中にきれいに並べられた和菓子、コンビニの棚から舞妓の化粧、そして挨拶の時の頭の下げ方に至るまで。

・一方で、この秩序は外国人を疎遠にする要素でもあるのだろう。如何せんこの秩序には入り込みにくい。好きになるどころか、馴染めなければ居心地の悪さを増大させるだけのものだ。例えば、人間関係や商習慣にもそれは表れる。

アメリカに発つ前に"American Beauty"と"Nobody Knows(誰も知らない)"を観たのだが、今回の「二つの帰国」は、日米それぞれの映画の特徴をなぞっているかのようでもあった。ハリウッドはアメリカの「文明」の象徴であり、日本の映画は概ねその「文化」を表している。

帰国は毎回新しい。帰国、万歳!

アメリカへ帰る飛行機から