Thursday 22 January 2009

Censor事件と国家の大命題

どうしてcensorしたのか?そのプラスとマイナスは?

中国当局がObama大統領の就任演説の一部をcensor(※)した出来事をKalafなりに整理していると、ふと「国家の大命題」に考えが及んだ。(※英語ではこう言うようだ。直訳は「検閲」。)

<国家の大命題>
アメリカ: 最強国家の維持
中国: 国家体制の維持と最強国家への歩み
ロシア: 大ロシアの復活
ヨーロッパ: 対抗軸(極)としての存在
インド: 大国としての勃興
その他の国:
  国家の生存と安全の維持、および利益の増大(国家レベル)
  自己権力・利益の維持、およびその増大(個人・組織レベル)

つまり、今回の出来事も中国当局にとっては「国家体制の維持」という「国家の大命題」に沿った対応に過ぎないのではないかということだ。

国家体制の基本である「『共産主義』が打ち負かされた」という就任演説のくだりが、外界をほとんど知らない大多数の中国国民に聞かれることを中国当局(中国共産党)は好まない。他方、演説がcensorされたことや原文と中国語訳の違いに気が付いた人は、英語が分かるという意味でそもそもある程度の高等教育を受けている人が多く、「然るべき対応だ」と思うか「いつものことだ」と思うため、中国当局の対応に過剰反応することはない(もちろん例外はあったと考えられる)。

中国当局にしてみれば、この二つの利益比較をするだけであり、結果「国家体制の維持」により直結する前者(圧倒的多数の国民)との関係が優先される。

さて、国家の大命題。

日本は?

真っ先に思い浮かんだのは個人・組織レベルでの「既得権益の確保」。国家レベルの大命題は何であろうか。明確には考えつかない。

Kalafは「立ち位置の確定」だと思う。国内では「富の再配分」の立ち位置、海外では文字通りその「positioning」。

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