Sunday 8 March 2009

帰国 * 2

日本に戻る前のエントリーで「帰国」と書いたが、日本を離れる時も「帰国」なのだと感じたその認識が自分でも不思議だった。成田から日暮里に向かうスカイライナーの中では、自分が日本人である様を「陸に用事があって一寸出かけた魚が、陸の生活に慣れ始めた頃に水中に戻り、また何事もなかったかのように泳ぎ始める」と喩え、一人でにやにやと笑っていた。

そのスカイライナーの中での感覚があまりにも新鮮だったので、ノートを取った。随分と不思議な新鮮さだったのだと思う。

・「日本を離れていた一年がどのくらい長かったのか」を実感したのは、窓の外を過ぎてゆく他愛もない光景に抱く「愛おしさ」に気がついた時。寺院や梅はあまりにもビンゴ、自転車や密集する住宅、ホームで電車を待つ人や煙突にさえその感覚が生じたのだから自分でもおかしい。大袈裟に言えば愛国心、そしてそれは日常への「appreciation」。

・このappreciationが「これが日本」と受け入れる「寛容さ」なのだとすれば、一年の間に新しい価値観が形成されたと言える。これまで何度も海外に行っては日本に帰ってきたのだが、この日本への寛容さは全く新しいものだ。寛容は「余裕」を生む。今の自分には日本を見る時に余裕がある気がする。

・日本を表す言葉の一つは、やはり「秩序」に違いない。二種類の秩序。それは、秩序立った秩序と雑然になり過ぎない秩序。例えば、前者は新幹線の発着であり、後者は駅前にとめられた無数の自転車。

・日本を好きになる外国人は、きっとどこかでこの「秩序」にひかれるのではないか。それは理路整然としたラッシュ時の人の動線から小箱の中にきれいに並べられた和菓子、コンビニの棚から舞妓の化粧、そして挨拶の時の頭の下げ方に至るまで。

・一方で、この秩序は外国人を疎遠にする要素でもあるのだろう。如何せんこの秩序には入り込みにくい。好きになるどころか、馴染めなければ居心地の悪さを増大させるだけのものだ。例えば、人間関係や商習慣にもそれは表れる。

アメリカに発つ前に"American Beauty"と"Nobody Knows(誰も知らない)"を観たのだが、今回の「二つの帰国」は、日米それぞれの映画の特徴をなぞっているかのようでもあった。ハリウッドはアメリカの「文明」の象徴であり、日本の映画は概ねその「文化」を表している。

帰国は毎回新しい。帰国、万歳!

アメリカへ帰る飛行機から

2 comments:

Anonymous said...

新しい「帰国」に、僕からも「おかえりなさい!」

Kalaf said...

ただいま!

「帰国」の感覚はしのも分かるでしょう?