Thursday 19 June 2008

ジャングルから南端を思う

昨日はまだ南米大陸南端の"町"で寒さに耐えていた。その空気を既に思い出せないようなジャングルの"街"マナウス(Manaus)にいる。肌が、より厳密に言うと毛穴がその違いを感じ取る。二日間で三本のフライト(しかもそのうちの二本は大幅の遅れ)の疲労感と引きかけの風邪に加え、熱帯雨林の気温と湿度が気だるさを増長させる。

フエゴ島(Tierra del Fuego)がどのような場所であったか、それを思い出そうとするのだが、マナウスの滞った生ぬるい空気がKalafにその困難を強いる。しかも、今Kalafの泊まっている"トロピカル"なホテルがその弛緩を戻そうとすることは決してない。

"町"と"街"。同じ読み方でも、表現する対象は異なる。少なくともKalafはそう思っている。具体的な規模感を伴う町と、抽象的な文脈での街。

昨日までいたRio Grande(フエゴ島の一つの町)は前者だ。何もない。本当に何もなかった。

飛行機の中から近づく町は既に寒々しさを十分に感じさせた。飛行場からホテルに向かう途中、ドライバーが簡単な町案内をしてくれたのだが、この思いは一層強くなるばかり。海からの風が吹く荒野に集落がある、という表現ができようか。冬だけに一層そう感じられた。通り沿いの壁に書かれた落書き以外には目立って無駄なものは見られず、簡素さがより際立つ。

もともと、このフエゴ島は、南米大陸最南端におけるチリとの地政学的なバランスを確保するために、アルゼンチン政府により人為的に開発が進められたそうだ。100年ほど前に本格的な入植が始まり、その流れの中で税特区としての産業誘致が意図された。したがって、産業や町そのものよりは自然・地理条件に目が行く。町の中心から数キロ走ると、辺り一面がこうなる。何もない。遠くには雪山が見える(地平線上)。

そこにある生活の中に生活している。これがKalafがこの町の人の様子から受けた印象だ。寒いところの特徴なのか、小さな集落(Rio Grandeは人口8万人)の、あるいは入植者としてのそれなのか・・・、"それ以上"を強くは望まない人々の様子が殺風景にも、また落ち着いた幸せであるかのようにもKalafには映った。

大西洋の向こうから、出発の日の朝、10時前にようやく昇り始めた太陽。朝日を背に給油をする男と、その男と話をする別の男。前の日も、そして次の日も大きくは変わらないであろうこの光景が、Rio Grandeの閉鎖性をKalafに最後まで思わせた。静かに、小さく広がった町であった。

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