Thursday 2 October 2008

「させていただく」

麻生首相は所信表明演説で「就任させていただいた」と、プロ野球の清原さんは引退セレモニーで「引退させていただく」と言った。

この表現がここまで頻繁に用いられるようになったのは、そこまで前の話ではない。十年も経っていないはずだ。

さて、「させていただく」という表現には、聞き手や読み手へのどのような期待が込められているのだろうか。文法上は謙譲語だ。つまり日本の美徳の表れなのだろうか。

もちろん、結局は「皆がそう言うから」が答えなのだとは思う。これだけ当たり前に使われれば、そう言わない方が「差し支える」可能性があるからだ。

この表現が厄介なのは、行為の主体が曖昧にされてしまうことだ。迎合的ですらあり、合議的で、馴れ合いの関係性が強調される。Kalafは好まない。ポジティブに解釈すれば、「共感のアプローチ」とも言えるのかも知れないが、それでも好まない。

同じ文脈でもう一つの似た表現として「なる」がある。これらの表現から、日本語が主体を明確にしないようにしないように変わってきていることを認識する。

ところで、この表現は英訳しにくい。愛国的に言えば、これも「日本の美徳だから」か・・・。

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