Saturday, 11 October 2008

Kalaf先生

"先生!"

休みの先生に代わって、マイアミ補習校で教えたKalafはそう呼ばれた。何年ぶりだろうか。卒業後のニート時に塾の講師と家庭教師をしていた2002年以来、6年ぶりだ。

"起立、きをつけ、礼!"で朝礼(!)が始まる。前奏が始まり校歌(!)を歌う。校長先生(!)の話があり、数人が一分間スピーチ(!)をする。11月の運動会(!)に向けて、よさこいソーラン(!)の練習をする。

薄まった彼方の記憶が流れ出し、一人で笑みを浮かべるKalaf。何と言ったら良いのだろう。

"幸せ"と表現するとおかしくも聞こえるが、おそらくそれが一番近い。

友達と一緒にいると、彼らは本当に楽しそうで嬉しそうだ。また、ようやく描き始められた画用紙のような彼らの可能性や将来を想うのだろう。その画用紙に幸せを期して見ていたような気がする。

小学校低学年は元気いっぱい、高学年になると少し落ち着いた男の子と女の子、中学生はもう背伸びをし始める・・・。成長の過程が見える。このこともKalafを幸せに包む。それは自分の成長も思い出されるから。

"子は宝"とはよく言ったものだ。

さて、今日は、午前中は中学三年生に、午後は中学二年生に数学を教えた。

どちらのクラスも子供により理解力に多少の差はあったものの"普通に"授業を進められた。"普通に"と書いたのは授業を聞かない、あるいは反抗の見える子供がいることを想像していたということだが、決してそうではなく、"Good boys & girls"に感謝をしたわけだ。きっと生意気盛りに違いないが、その生意気が常であることはなく、かわいく思った。

また、年頃の彼らは、保健体育の授業で習ったとおり、girlsのほうがboysに比べてませていることもよく分かる。服装からしてそうだし、話し方や喋っている内容も全然違う。これは面白いと思った。Kalafが中学生の頃もそうだったのだと思うが、boys本人はその自覚がない一方で、girlsはしっかり認識しているのだから!これも、かわいく思った。

(アメリカ感覚なのか、その年頃のgirlがあまりにもストレートに"また来てください"と言うものだから心底照れてしまう・・・。)

ところで、補習校(※)には大きく分けて、現地に永住した家族の子供と、赴任した家族の子供がいる。前者は、親のどちらかだけ(特に母親)が日本人であることが多い。

興味深いのは、赴任家族の子供のほうが理解力も授業への姿勢も概ね良いことだ。もちろん必ずしも一概には言い切れなく、また永住家族の子供は言葉の問題もあるのだが(彼らの母国語は英語)、日本語で学習する環境を作る親の姿勢が異なるのだと思う。補習校はあまりにも顕著に表れるが、親の教育環境への姿勢という点は日本国内においても根本に違いない。

また、学校でどうしても避けられない理解力の差や、子供個人の意欲の差にどう対応するかは難しい問題であることを身を持って感じた。補習校は形式で言えば塾と同様に任意の機関なのだが、雰囲気は理解力や意欲が千差万別という意味で公立学校に近い。学校(特に公立)におけるクラスの能力編成、教えるべき科目等、まだKalaf自身では答えを出せない。

歳が随分と離れた彼らと接していると、普段は感じないことを感じる。彼らへの投影だ。この投影はかつての自身を懐かしむ意味のそれではなく、彼らの気持ちや考えを分かろうと努める投影と言える。それが意識的だったのかそれとも無意識的だったのかはKalaf自身もよく分からないが、根底にあったのは彼らの気持ちや考えがまだ自覚していない将来への希望なのだと思う。

・・・幾らでも書けそうだ。あれだけ新鮮で自然な空気をいっぱい吸ったのだから。Kalaf先生、愛情たっぷりだ。次は運動会!

※)補習校についてはこちら(Wikipedia)。

2 comments:

しの said...

補習校の雰囲気とその感じ、すごくよく伝わってきます。海外の、しかも子供の日本語世界という、ちょっと変わった環境で、いろいろ楽しそうですね!

Kalaf said...

彼らは複数のバックグラウンドを持っているので、それは接していて面白いところです。

彼らは言葉と、文化への寛容という意味で大きなアドバンテージがあると思います。彼らがこのことにより自覚的になり、それを最大限活かせるようにと願います。