Thursday 3 July 2008

The Amazon and Jungle: Day-4 思う

Day 4(22/June)から二週間弱、アマゾンを思う。

夕日のプラネタリウムの下で"There is nothing, but there is everything."がすっと響いた。確かに空とジャングルとアマゾン以外には何もなく、そこにはそれだけが溢れていた。それだけをもって"Everything"と言い切れるほどの広がりと深さ。それは、ただ"きれい"あるいは"美しい"としか描写できない自然の姿であった。写真で少しでも伝わればと思う。

もう一つ、"I love the freedom that the Amazon gives."とガイドが言った言葉を忘れられない。この"アマゾンのくれる自由"の意味をおそらくKalafは理解し切れていない。ただ、きっと彼は自然が自然のままで存在することを自由と言ったのだと思う。人間一人の目には、この自然を遮るものは何もなく見えた。それは途方もない"自由"だ。

旅は人を開放する。この開放も"自由"だ。そして日常からの乖離度合いが高ければ高いほど、この開放度すなわち自由度は増す。アマゾンで出会った人々は、実に屈託のない笑顔でアマゾンに包まれていた。それは自由の中にある笑顔だった。

3泊のジャングル生活から再びアマゾン川の対岸に戻る。この時、何週間か人間界から離れていたような感覚に気づき、それはどれだけ時間の流れや頭の中が人里から離れていたかを思わせた。説明しようにも説明できないもどかしさは、アマゾンには本当にアマゾン以外には何もないことを、そして何もないことはただアマゾンがあることを意味している。空とアマゾンとジャングルの組み合わせ自体はただ一つ、その表情の組み合わせが無限にある。その無限の中にいると、頭が空っぽになり、そして次は自然のオーラで満たされる。

アマゾンとジャングルは、紛れもなく異質体験であった。

二つの川のMeeting Pointは上空から見たとおり、くっきりと分かれており、Kalafの住む人里がこちら側に他ならず、あちら側は旅先であったことを改めて思い起こさせた。

自然の浸透圧により自然に含まれたかのような錯覚が、対岸に引き寄せられるにつれ徐々に抜けていくような気がしていた。

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