Kalafは、これまでの仕事を通じ、グローバル企業の定義を以下のように考えるに至った。
1/ 「マーケット」が限定されていないこと
2/ 働く「場所」が限定されていないこと
3/ 働く「言葉」を選ばないこと
4/ 働く「人」を選ばないこと
5/ プロセスやオペレーションの「標準化」が進んでいること
まず、商品やサービスが国や地域を限定することなくグローバルに個々の「マーケット」に展開されていることが真っ先に挙げられる。これは、どちらかと言うと、カスタマー側から見た最も端的なポイントだ。
一方、企業側から見た場合、これは、ビジネス・チャンスがあると見れば、その利益を獲得するために、その「場所」にリソース(金、時間、人)を投入すること、と言い換えられる。つまり、ビジネス・チャンスの獲得という目的のために投入するリソースとその投入場所が決められるわけであり、リソースとしての人が働く場所はビジネス・チャンス次第でどこにでもなり得る。(なお、ここで言う「場所」は、必ずしもターゲットとするマーケットと一致するわけではない。)
次に、働く場所が限定されないことは、逆説的に、共通の「言葉」を必要とすることをより強く意味する。なぜなら、商品やサービスをグローバルに 展開するためには、そのバリュー・チェーンに関わる誰もが分かる言葉が欠かせないからである。つまり英語である。個々のマーケットや、働く場所にあわせて言葉を変えていたのでは到底グローバル展開はできない。働く人は言葉を選べない。
では、働く「人」を選ばないとはどういうことであろうか。
働く「人」を選ばないとは、ビジネス・チャンス獲得のために必要な人材という基準においてのみ、働く人とその配置が決められるということだ。つまり、人種や性別、年齢やバックグラウンドといった個人的な特性は基準にはならない。
実際には、もちろんこの通りにいかないのだが、重要な点は、企業が採用や人材配置を行う際に個人的な特性を基準にしない、ということだ。
ここで一旦まとめる。
あるマーケットにおいてビジネス・チャンスが見い出されると、選ばれた人が、然る場所に投入される。コミュニケーションは英語だ。
battle fields(マーケット)と陣容(場所、人)、コミュニケーション(言葉)が決まった。
(続く)
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