Wednesday, 7 May 2008

ゆとり世代

5/2の日経新聞朝刊にあった"ゆとり世代がやってきた"という記事を読み、日本を心配に思った。

記事によると、今春の新入社員の多くが小学校入学時から週五日制であった"ゆとり世代"で、そのうちの四割超が「指示がないと仕事がにしくい」、「競争が嫌い」と自己を評価しているという。また、みずほコーポレート銀行はこれまで二週間ほどだった新人研修を半年に延ばし、静岡銀行は父母向けに説明会を開いたそうだ。記事は、「本気で育てるつもりがありますか」と結んでいる。

今日、メディアはさかんに国際競争の厳しさと日本の競争力の低下を伝える。

ゆとり世代、団塊世代の退職、売り手市場、特徴的な要素は幾つもあるが、これらはあくまでも日本の"内部事情"であり、みずほコーポレート銀行や静岡銀行のような現象あるいはゆとり世代の自己評価とグローバリゼーションとのギャップを理解するのは難しい。

日本とグローバリゼーションを考えると、必ず"日本は島国から脱却できないのか"という問いにいきつく。移民に囲まれたマイアミにいると、なおさらこの問いを重く感じる。

Kalafのまわりにはラティーノのゆとりは溢れていても、日本の"ゆとり世代"は見当たらない。本国の友人たち、彼らはやはりどこか違うのだろうか。

2 comments:

Shimpei said...

私は電気メーカーで働いて5年目になりますが、今のところ自分の同期や後輩たちで
「ゆとり世代」の人間は余り見当たらない
ように思います。

海外に打って出ようとする電気メーカーで、グローバル環境下での競争をしたい。日本のモノ作りの素晴らしさを世界に示したい。
というような高い意識、強いパッションを
持った人が比較的多いように感じます。
とは言っても、他のアジア諸国や欧米諸国
と比べて、グローバルマインドやハングリー精神
は雲泥の差かも知れませんが。

ただ一方でネットの統計や、一部の学生時代の後輩たちの話を聞くと、外に打って
出ようとする精神力や自己実現しようと
する気持ちが弱まっているという傾向が
見て取れ、団塊世代が謳った1億総中流の時代から比べると、二極化が強まっている
のかなあと考えたりもします。

私の偏見ベースでゆとり教育を結論付けると、
近年の犯罪率の上昇やこういった意欲の低下
が示す通り、甘い教育は甘えた姿勢を若年層
に植え付け、彼らの心のゆとりはなくなる
一方。手遅れになる前に、ある程度の締め付けをするべきなのでは?と常日ごろから
思っています。

Kalaf said...

国際競争力やグローバル業務が当たり前の産業で働くことを望む意識と、身の回りの国内ビジネスとして成り立つ産業で働くことを望む意識の違いであろうか。日経新聞に載ったのは銀行であり、このことを端的に示している。

ゆとり教育の最大の弊害は、"空いた"時間を豊かに過ごせる環境にいる子供が圧倒的に少ないであろうこと。結果、ゆとり時間を有意義に過ごせる子供と、そうでない子供の差は大きくなるばかりだ。そして、初等教育期間におけるこの差は、時間が経てば経つほど大きくなり、広い意味での"学習能力"と"選択能力"の差となって表れる。

そもそも、大人がこの"空いた"時間に何をすれば良いのか、あるいは何をしたいのかというアイディアに乏しいことが背景の一つだ。逆にゆとり時間を画一的に過ごすことさえ起こり得、何のためのゆとりなのかが一層分からなくなる。

ゆとり社会の例として挙げられる北欧は、この時間の使い方が社会の中、コミュニティの中、家族の中に十分に浸透していること、しかもそれぞれのかたちで存在していることが前提にある。

親が豊かに過ごしていない社会が、子供にとって豊かであり得るだろうか。