Monday 28 April 2008

ご飯

想像力の話をしたい。

二箇月がこれほどの感動をくれるものとは、それこそ想像もしなかった。二月末の渡米以来、初めてお米を炊いた。

まずお米を研ぐ。糠のにおい、お米が擦れる音、そして水を流す際にお米が転がる音。米粒をこぼさないための集中。

次に水に浸す時間。静かなたたずまい。Kalafは水に沈むお米を美しく感じる。

続いて火(電磁コンロ)にかける。10分程度すると、吹きこぼれと同時に"ご飯"のにおいがキッチンにただよい始める。自然と笑みが出る。ただし、久しぶりの"ご飯"であることに加え、空腹にはここからが長い。

火を弱め、ひたすら待つ。その間に"ご飯"のにおいは徐々に完成に近づく。ガラスのふた越しに鍋の中を凝視する。もちろん炊き上がる早さは変わらないのだが。

火にかけ始めてから20分を過ぎると水気はなくなる。火から外す。我慢の限界を感じながら約15分待つ。見た目は十分に食べられそうに思えることがさらなる忍耐を強いる。

ついに、ついに鍋のふたを開ける。Kalafはここで絶叫に近い喜びの声を上げた。立ち上る湯気と"ご飯"のにおい。炊き立てのご飯をよそる際、炊飯器のふたを開ける。いつもそこに、当たり前にあったあの炊き立ての"ご飯"におい。しゃもじで柔らかくかきまぜる。湯気が落ち着いてくる。

いよいよお茶碗によそる。炊き立ての白米だ。

座る。思いがけず合掌をし、いただきますを言う。心を込めて。

一口食べる。うまい。これは「おいしい」ではない。「うまい」だ。うまい。

もう止まらない。我慢しない。一膳を一分もかけずに食べる。おかわりにキッチンに戻り二膳目をよそる。今度はゆっくり味わいながら食べる。うまい。

お米、ご飯、お箸、お茶碗・・・。日本語では、元来、感謝や敬意の対象に「御」をつける。これは"八百万の神"の思想だ。"命をいただく"という意味の「いただきます」。ともに父から聞いた話だ。父は米屋のせがれ、Kalafは米屋の孫だ。

2 comments:

Anonymous said...

尚且つ、食べた後にはそのことを丁寧に表わす「様」をつけて御馳走様と言う。食べることによって自分は生かさせてもらっているというこへの感謝を表わす文化。432

Kalaf said...

決して言い尽くせない感謝を。ありがとう。