随分前に読んだのでよく覚えていないのだが、売れた理由は"売れたから"以外には分からなかったと記憶している。"在るものは在るもの、気張らずに"と"少しは考えて生きろ"がメッセージで、このメッセージを諸々の事象を生理的な"脳"の観点から考察する本とKalafは自分に押し込んだ。
確かに"クマ"の言った通り、理系本としての側面は面白かったと記憶している。この手の理系的な側面は頭に立体のイメージを起こさせることがよくあり、これが好きだ。
あわせて『無思想の発見』も読んだ。タイトルの通り、"日本には無思想という思想がある"というメッセージ。この本は面白かった。すっと入った箇所を抜粋する。
- 異なる社会では、世間と思想の役割の大きさもそれぞれ異なる。世間が大きく、思想が小さいのが日本である。逆に偉大な思想が生まれる社会は、日本に比べて、よくいえば「世間の役割が小さい」、悪くいえば「世間の出来が悪い」のである。(p.71)
- 「ひとりでにそうなった」というのが、つまり日本の思想なのである。(p.83)
- 「日本に思想はない」、あるいはむしろ「世間に思想はない」という立派な思想が、その世間にすでに存在するからである。(p.93)
- 日本の世間が「俺には思想なんかない」で、ここまでやってこられたについては、もちろん世間という「実情」があったからである。いわゆる「現実」が存在したのである。(途中略)「思想というものがない」社会で「世間という現実」が危うくなれば、すべては崩壊に近づくしかない。(p.102-103)
- 「思想なんてものはない」。これは思想におけるゼロに発見である。(p.114)
- 日本の思想を考えるなら、「書かれない思想」について書くしかない。(p.142)
※)ブラジルのアメリカン・スクール育ち。高校時に帰国、その後日本で海洋・水産を専攻。サッカーを狂おしく愛し、ツキノワグマの保護に奔走する。Kalafの元上司。クマはKalafを"トンボ"と呼ぶ。
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