Friday 8 August 2008

特殊な国と余裕

Kalafは田原総一郎の認識に近い感覚を持っている。もちろんKalafも中国を"特殊な国"だととらえているが、その特殊性をネガティブな側面ばかりに向けることは賢明ではないと考える。今日の日本はやや度が過ぎるのではないか。ロシアの方がよっぽど付き合いにくい"特殊な国"だろう。

少し前であれば政府への不信任と靖国、今はBSEと独島/竹島のように、韓国の国内問題の憤りが反日的なイシューに向けられることはよくある。同様に、日本も自らの存在感が低下していくことへの漠然とした不安を中国に鬱憤として転化する。そして、これらの"操作"はする側とされる側がそれぞれに意識的か無意識的かを問わず、日常的に行われている。

さて、Kalafには、日本が韓国の大衆誘導とその反応に対し決して過剰には反応していないように映る。他方、日本の中国への反応や意識は偏っていたり誇張されているように見える。

この違いはどこから来るのか。"余裕"だ。韓国に対しては余裕がある一方、隣国のRising Powerである中国に対しては余裕がない。人間関係でもそうだが、余裕がないと余裕がある方にどうしても引っ張られる。

前世紀を振り返れば、経済的にもそして政治的にもオリンピックが開催国にとって大きなターニング・ポイントであったことは疑いようがない。それぞれに約20年の間隔。"日本と韓国は既に経た道、そして今度は中国の番"程度の余裕を持ち得ないものだろうか。

今後、中国が仮に"まっとうな大国"ではなく、"特殊な大国"になっていくとしても、それは従来通りのパワー・ポリティクスに過ぎず、日本が狡猾さを含めた"まっとうな対応"をするだけだと考える。

2 comments:

Anonymous said...

相変わらずの興味深い思索、頭が下がります。
日中/日韓関係のギャップが、”余裕”から来るという見解は非常に面白いです。

Kalaf said...

対外的な"余裕"は、国の将来性と前提条件に大きく左右される。市場、国民性、人口、資源、地理、国土、歴史・・・。中国は明らかに有利だ。ロシアやインドと比べると、国民性における優位が際立っていると思う。

ただ、一転、中国の国内に目を向けると、中国共産党政府の余裕はそれほどでもないのではないか。