Monday 18 August 2008

権力とCheap Safety

最近、日本に対し、苛立ちを通り越しやるせなさを覚えることすらある。これは、自分がブログを書き始め、そして世間のブログを読むようになったことが多分に影響している。

今日、この鬱陶しさのようなものがKalafなりに"すっと落ちる"感覚を得た。

端的には"権力の失墜"による"権力への固執"なのではないか。

長らく日本では、権力に"情報"が集中していた。政府、国会、官公庁、自治体、マスコミ、大学、病院、等である。自由競争原理が働きにくい、"選ばれた"人の世界だ。そして、権力の内側にいる人と外側にいる人の間に存在する"情報の非対称性"が、その権力の拠り所であった。

周知の通り、この"情報の非対称性"がインターネットにより狭まってきている。"非対称性の逆転"すら起きている。つまり権力の拠り所が根本から揺らぎ始めている。主役は幾千もの個人ブログだ。

同時に何が顕著に起きているか。"権力への固執"だ。"官製不況"の実態がより明白になるにつれ、新しい"束縛"が増える。友人はこれを"Cheap Safety"と称した。"既得権益"が強固に、また広範になることはあっても縮小されない背景の説明も同様と思われる。

ペリーが来て、マッカサーが来た。"GoogleのDemocracy"は今日の"パラダイム鎖国(※)"にとって"Third GAIATSU"になるのであろうか。あるいは"First NAIATSU"として機能するのであろうか。そう期待したい。パラダイム鎖国がGoogleのDemocracyの反動として発動されたにせよ、だ。

※要旨はここを参照されたい。

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